【陸奥国弘前津軽家文書】
識別記号 ac1947002
資料記号 22B 23Y 26K-1
標題 陸奥国弘前津軽家文書
年代 1434年~1922年
主年代 江戸
年代注記 1434(永享6)年-1922(大正11)年、主として1620年代から1900年代までのもの。
記述レベル fonds
書架延長/数量 54m/5299点
物的状態注記 5299点;数量の内訳等(『史料館所蔵史料目録』第12集より算出)2121冊、2220通、113綴、613枚、47舗、4袋、1括、その他180。
出所・作成 津軽家
履歴 津軽家は、近世を通じて主として青森県西半を領し、弘前に藩庁を置いた外様大名である。津軽家の出自には諸説があるが、南部氏との関連があり、大浦南部氏を継いだものといわれている。 戦国期、津軽家は津軽地方を統一した藩祖津軽為信により、近世初頭には4万7000石を領知する城持大名となったが、1805(文化2)年蝦夷地警衛の功により7万石に、さらに1808(文化5)年には10万石となった。なお、翌年、黒石津軽家が分知され1万石の大名となっている。 藩の経済は、主として水稲生産で近世中期以降、大規模な新田開発を行い表高10万石に対し内高32万9600石(『旧高旧領取調帳』)となっている。しかし、たびたびの大凶作に見舞われたうえ、盛岡藩とは弘前藩の独立や藩境にかかる争論が絶えず、確執が続き、1821(文政4)年には9代藩主津軽寧親暗殺未遂事件(相馬大作事件)さえ起こった。そのほか近世後期には蝦夷地分領支配・警衛に動員させられている。明治維新後、奥羽越列藩同盟に加盟したが、いち早く離脱、盛岡藩領を攻撃した。廃藩後は弘前県となり、12代津軽承昭は伯爵となった。
(関係地)陸奥国津軽郡高岡‐弘前‐青森県弘前市[現在]
(主題)大名|伯爵
(役職等)大名|伯爵
伝来 史料館へは1948年に原蔵者より譲渡を受けたほか、1974年度に追加分の寄贈を受けた。
入手源 原蔵者
範囲と内容 弘前城の火災等を免れた弘前藩の藩政史料は、二の丸御宝蔵に収蔵されていたが、一部が江戸藩邸に移送され、藩邸文書、津軽家の家政文書とともに、明治維新以降も同家に収蔵されていた。当館所蔵の津軽家文書は、現存する弘前藩関係史料の約3分の1と見られる。したがって他に所蔵の文書、とくに弘前市立弘前図書館所蔵文書とあわせることによって、大名文書としての全容が明らかとなる。 当館所蔵文書は、『史料館所蔵史料目録』第12集では、(1)領知、(2)藩侯、(3)勤役、(4)法制、(5)藩政、(6)藩財政、(7)軍事、(8)武学、(9)藩士、(10)寺社、(11)学芸、(12)遊芸、(13)地誌、(14)絵図、(15)雑、に大別している。 このうち、(1)領知では徳川家綱以降の朱印状・判物、郷村高辻帳、不発に終わった所替、表高改正の高直し関係史料がある。(2)藩侯では系譜のほか、藩侯御代日記、(3)勤役では蝦夷地警衛、甲州河川などの御手伝普請、(4)法制では幕法・藩法関係が良く残っている。(5)藩政では藩史、相馬大作事件、戊辰戦争、(6)藩財政では新田開発(ただし、地方支配関係史料は乏しい)、(9)藩士では「津軽藩旧記伝類」など、(10)寺社では「寺社領分限帳」などがある。(7)軍事、(12)遊芸には4代信政が学んだ山鹿素行の著述等がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第12集(1966年)
原本の所在
利用可能な代替方式 青森県立図書館、市立弘前図書館、北海道立文書館が文書の一部を撮影している。
関連資料 市立弘前図書館所蔵、津軽家文書(『弘前市立弘前図書館郷土資料目録』7―9・11、『津軽家文書総目録』1984年)。このうち、「弘前藩御国日記」「弘前藩御江戸日記」はマイクロフィルムで収集している(F7905参照)。
出版物 国立史料館編『津軽家御定書(史料館叢書3)』(東京大学出版会、1981年)
注記 これまでマイクロフィルムによる撮影を行った機関は次の通り:青森県立図書館(昭和47、34点)、弘前市立弘前図書館(昭和47、34点)、青森県立郷土館(昭和52―35、1点)、旭川市史編集事務局(平成1―30、4点)、弘前市教育委員会(弘前市立図書館資料、平成2―15、566点)、弘前市史編纂事務局(平成3―108、約3500点)、北海道立文書館(昭和63―11・平成4―38、368点)。 関係記事: 『史料館報』第3号、21号。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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