【遠江国引佐郡気賀宿中村家文書】
識別記号 ac1948024
資料記号 23X
標題 遠江国引佐郡気賀宿中村家文書
年代 1540年~1883年
主年代
年代注記 1540(天文9)年-1883(明治16)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 17m/3924点
物的状態注記 3924点(875冊、2786通、193綴、6括、64鋪)
出所・作成 中村家
履歴 中村家は、1546(天文15)年に中村與太夫が吉村新町(後の気賀)の代官に任ぜられ、次いで16世紀末の天正期には吉村湊の舟役徴収や市日の升取役を命ぜられるなど、中世以来の在地土豪であったと考えられる。気賀は早くから三河と遠江を結ぶ陸上交通の要衝であり、また浜名湖舟運の基点として、浜名湖北岸地域の中心的な町場であった。近世に入ると気賀を貫く本坂通が東海道の脇街道として重要視されるようになり、気賀町に関所と宿場が置かれた。中村家は当初より気賀宿本陣をつとめるとともに、代々気賀町庄屋(名主という場合もある)および気賀上村庄屋を兼任した。また7代当主中村与四郎は、1760(宝暦10)年に気賀領主近藤用随に召し出されて気賀関所平番格となり、その後竹田家を継いで竹田弥次郎重賢と名乗って、1796(寛政8)年に退役するまで地方代官を14年、番頭を16年つとめている(『細江町史』資料編8)。なお中村家は、近世を通じて有力な地主でもあった。
(関係地)遠江国引佐郡気賀町(気賀上村)‐静岡県引佐郡細江町気賀[現在]
(主題)本陣‐庄屋(名主);地主
(役職等)本陣‐庄屋(名主);地主
伝来 気賀町鈴木庫太郎氏が中村家より譲り受けたものを1948年度に史料館に譲渡。鈴木氏については『細江町史』資料編8「あとがき」(1994年)参照のこと。
入手源 気賀町鈴木庫太郎氏より譲渡。
範囲と内容 本文書群は、(1)気賀町庄屋文書、(2)気賀上村庄屋文書、(3)気賀宿本陣文書、(4)竹田弥次郎文書、(5)中村家家政文書、の5つによって構成されると考えられる。気賀町は気賀上村のうち街道沿いの屋敷地を気賀町と呼んだものであるが、検地帳などの基本帳簿はもとより、年貢免状も気賀上村とは別のものが発給され、支配行政上あくまで独立した扱いを受けた。また気賀町は気賀宿として人馬継ぎ立ての任務を負い、常設の宿問屋が置かれなかったため、かわって気賀町庄屋である中村家が人馬差配業務など宿運営の中心を担った。 これらのことから、(1)気賀町庄屋文書には、年貢・土地・戸口・治安・災害・救恤などに関わる町方文書のほか、大名公家等の通行に関する書付類や宿・助郷への人馬割付帳など、多数の宿駅文書が含まれる。気賀湊の碇役銭の取立納入関係文書も(1)に入れてよいと思われる。 (2)は中村家が気賀町とともに庄屋役をつとめた上村の村方文書である。上村は油田・伊目・呉石・小森・葭本・下の各村とあわせ、気賀村あるいは気賀七ヵ村とも呼ばれた。したがって、治水関係などの分野では気賀七ヵ村全体に関わる文書が多く見られる。 (3)は(1)と区別が難しい点もあるが、大名公家等の通行・宿泊に関する本陣中村家の帳簿等が多数残っている。 (4)は、中村家7代当主で後に竹田弥次郎重賢を名乗った中村与四郎が、気賀関所役人や地方代官として在役中に授受あるいは書写したと思われる文書と、退役後に書き残した写本史料からなっている。「本坂通往来留書」「御関所覚書」など気賀関所に関するものと、「気賀御関所御要害郷村帳」など要害村に関するものが目立つ。(5)は金融・貸借関係の証文類が主体である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 『史料館所蔵史料目録』第2集の表記は「遠州気賀宿文書」。
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第2集(1953年)およびカード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 中村尚氏宅(静岡県浜松市)に中村家文書多数が所蔵されており、一部は『静岡県史料』第5輯(1941年)、『静岡県史』資料編13・近世5(1990年)、『細江町史』資料編7(1987年)に掲載されている。
出版物 『細江町史』資料編1(1979年)、資料編2(1981年)、資料編8(1994年)に、「本坂通往来留書」(史料番号776)その他の若干の史料が写真と共に翻刻掲載されている。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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