【出羽国村山郡小関村文書】
識別記号 ac1948026.0402
資料記号 23Z4(2) 41Q
標題 出羽国村山郡小関村文書
年代 1741年~1873年
主年代 江戸後
年代注記 1741(寛保元)年-1873(明治6)年
記述レベル collection
書架延長/数量 1m/217点
物的状態注記 217点;数量の内訳(『史料館所蔵史料目録』第10集及び目録カードによる)212冊、5通。なお本来1冊となるべきものの断簡が数点ある。
出所・作成 未詳
履歴 この文書群は、小関村の村方文書であって、同村名主などが保管していたものと考えられる。しかし、当館入手の経路が一つではなくまた出所も明らかではないので、文書名も小関村文書とするに止めてある。小関村は山形盆地の東部最上川の支流乱川に注ぐ押切川扇状地の扇端部に位置した農村で北部の扇状地は畑地となり、西部の低地帯が水田であった。近世初頭は最上氏領、ついで山形藩領、1668(寛文8)年に藩主の移封により宇都宮藩領(後、白河藩)の東根領となる。1741(寛保元)年には幕府領に、1800(寛政12)年には織田家領(高畠藩、ついで天童藩)となって幕末にいたる。村高は、『旧高旧領取調帳』では342石余となっており、この一部が宝幢寺領となっている。戸口は1756(宝暦6)年には37戸193人であったが、幕末以降急増し1870(明治3)年には83戸476人となった。1878(明治11)年には東村山郡に属し、1889(明治22)年、市制町村制施行の際、周辺の村と合併し成生村となった。
(関係地)出羽国村山郡小関村‐山形県村山郡小関村‐天童市大字小関村[現在]
(主題)―
(役職等)―
伝来 この文書群は、当館が1948年と1966年の2度にわたって入手したものである。初回(23Z4)の分は、渋沢敬三主宰の日本常民文化研究所が1932(昭和7)年以降に収集したもので、祭魚洞文庫の一部となっていたが、1948年に当館に引き継がれた(23Z4)。2回目(41Q)の分は、古書店(楠林南陽堂)で購入。
入手源 日本常民文化研究所・古書店(楠林南陽堂)
範囲と内容 文書群の大半は、村方に残されていたと思われる宗門改帳であり、ほかに生死去来帳、五人組帳などの戸籍文書と若干の田畑書上帳などがある。23Z4と41Q とは史料館への入手経路は異なるが、本来、一群のものであり、相補う関係にあったとみられる。このうち享和2(1802)年分からは「惣寄帳」があり、また「宗門人別帳」は寛保元(1741)年から断続的ながら万延元(1860)年まであり、各宗の「一宗御改帳」は「惣寄帳」とならび享和3(1803)年以降のもので、近世とくに幕末、1850年代はとくに濃密に残存している。それぞれ、例示すれば、次の通り。 (1)宗門・人別関係ではa,「宗門人別御改帳」「宗門人別惣寄帳」、b,一宗改帳では浄土真宗・浄土宗・禅宗・時宗各宗のもの、c,出生・異動では「人別御改生死去来帳」及び村払手形、d,五人組帳類として、「五人組帳」「五人組仕置帳」などがある。(2)田畑書上関係ではa,「指出帳」「田畑取米書上帳」「高反別帳」「免割帳」、(3)その他では、公儀触書、国役廻状写、「御手当割符帳」「非常備籾会金借用証文」などである。小関村を寺領の一部とした「出羽国山形宝幢寺文書」(34A 43A)については、同項を参照。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 閲覧は複製資料による。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 23Z4(史料番号7-1から7-132)は『史料館所蔵史料目録』第10集「祭魚洞文庫旧蔵史料目録」(1964年)、41Qはカード目録および仮目録(昭和41年度)。『史料館所蔵史料目録』第9集「出羽国村山郡宝幢寺文書」(1962年)の巻末にも「村山郡小関村宗門帳」として掲載している。
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 出羽国村山郡宝幢寺文書(『史料館所蔵史料目録』第9集収録)
出版物
注記 これまでの文書群名は「出羽国村山郡小関村宗門帳」。『史料館所蔵史料目録』第9集「出羽国村山郡山形宝幢寺文書」(1962年)の巻末にも「村山郡小関村宗門帳」として掲載しているが、現在、検索は上記第10集によって行っている。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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