識別記号 | ac1949007 |
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資料記号 | 24G |
標題 | 遠江国榛原郡嶋村山田家文書 |
年代 | 1639年~1907年 |
主年代 | |
年代注記 | 1639(寛永16)年-1907(明治40)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 24m/4533点 |
物的状態注記 | 4533点(3495冊、849通、158綴、2括、17鋪、7枚、4袋、1紙) |
出所・作成 | 山田家 |
履歴 | 山田家の由緒については、『掛川誌十一』に「庄屋山田儀兵衛 其祖ハ伊勢山田ノ人也、佐々木家ニ仕フ、此村新田開墾ノ時ニ来リ住ミテ、夫ヨリ庄屋ヲ勤ム」とある。また『静岡県榛原郡誌』下巻1018頁に、日切地蔵の由来として、1624(寛永元)年山田武左衛門祖先が所有地に自然石の地蔵菩薩を安置したことが記されている。山田家は代々庄屋職を世襲したと見られ、18世紀後半以降はほぼ儀右衛門または儀兵衛を名乗っている。明治になってからは、1872(明治5)年9月に名主山田義右衛門が嶋村戸長、同年10月に山田儀一がその跡を継いで嶋村戸長に任命されている。同人はその後、1873(明治6)年に第三大区二十五小区長兼学区取締、1875(明治8)年に竹下学校幹事、1877(明治10)年に第十大区副区長兼第十大区二十五小区内学区医務取締などに任ぜられ、1882(明治15)年には県会議員、1884(明治17)年には牛尾村島村金谷宿金谷河原町連合町村会議員に選出されている。地主としてもかなり大きく、1829(文政12年)の史料には持高160石余とみえている(『掛川市史』中巻、757頁)。 (関係地)遠江国榛原郡嶋村‐浜松県を経て静岡県第十大区二十五小区嶋村‐榛原郡五和町島‐金谷町島[現在] (主題)庄屋‐戸長‐副大区長‐県会議員など;地主 (役職等)庄屋‐戸長‐副大区長‐県会議員など;地主 |
伝来 | 1949年度に原蔵者より譲渡。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | 本文書群は、(1)近世嶋村村方文書、(2)近代嶋村村政文書、(3)志戸呂村村方文書、および(4)山田家家政文書、という4つの文書群から構成されると考えられる。(1)は本文書群の主体で、山田家が代々嶋村庄屋を勤めたことにより伝来した近世嶋村の公的文書である。検地帳、名寄帳、村明細帳、年貢割付状、年貢皆済目録、村入用帳等の村方基本史料のほか、同村が金谷宿の助郷村であったことによる助郷関係文書、大井川・大代川の川除普請関係文書などが豊富である。なお「組合立会」の表書がある「組合掛年中入用割合帳」「組合掛書出帳」などの帳簿が多数あるが、これは嶋村の村方文書でなく大井川・大代川の川通組合村文書である可能性がある。(2)は主として山田儀一の役職に関わって伝来した文書で、地租・民費関係、堤防普請関係などが目立っている。(3)は、嶋村の隣村である志戸呂村の近世を中心とする村方文書で、名寄帳、年貢免状、年貢米取立帳その他、かなりの量にのぼる。記録によれば、文政期の志戸呂村の組分一件や天保期の志戸呂村組頭退役一件に際し、嶋村庄屋山田儀右衛門が介在して帳面調べなどを行っており(『金谷町史』資料編2近世)、おそらくこれが山田家文書の中に志戸呂村文書が伝来するきっかけになったのではないかと推定される。(4)は山田家の家経営に関わる私的な文書で、「金銭出入帳」「当座帳」「通帳」等の家計帳簿や金銭証文類のほか、とくに蔵米の買請けを中心とする米の売買に関する文書の多いのが注目される。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | 『史料館所蔵史料目録』第1集の表記は「遠州嶋村山田家文書」。 |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第1集(1952年) |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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