【山城国京都大黒屋杉浦家旧蔵文書(三井高維収集文書のうち)】
識別記号 ac1949018.07
資料記号 24R(7)
標題 山城国京都大黒屋杉浦家旧蔵文書(三井高維収集文書のうち)
年代 1708年~1886年
主年代 明治前
年代注記 1708(宝永5)-1886(明治19)年
記述レベル collection
書架延長/数量 /210点
物的状態注記
出所・作成 杉浦家
履歴 本文書群は当館収蔵以前から「京都十仲間史料」と呼ばれてきた。この「京都十仲間」なるものの成立時期なり実態については余り明らかではない。本史料群のうち最古の史料は、厚紙の表紙に「覚 壱」と題書され、裏表紙に「行事」とのみ署名されて、宝永5年正月15日の記事に始まる仲間帳である。これによれば、同帳の始まる以前から同業者間の連繋はあったものの、定った世話役がなく不便であるから、以後行事を設けるというのであって、それ以前の仲間の在り方は漠然としているが、この行事組合新設の動機の一つが江戸からの連絡に対処するためのものであったことが判るから、元禄7年の江戸における十組合問屋結成に対応して大坂に江戸買次問屋(のちの廿四番組問屋)が結成されたのと同様、京都においても同じ対応がみられたと思われる。但し、当時彼らが「京都十仲間」と呼称していたかどうかは確証はない。十仲間は柏屋・白木屋・大黒屋(杉浦家)の存在から木綿荷物の輸送で結合した白子組の京本店を主力メンバーとして構成されていたことが推測される。取扱量に比重の差はあっても、呉服・木綿の兼営が多かった京都の十仲間と呉服店組のメンバーには重複が多く、一応両組別立の行事が置かれているものの、実際には両組合体の運営が行われたと見做され、何時しか「京都十仲間呉服店廿軒組」の呼称が用いられるようになった。明治維新後も仲間は改変の上存続したが、新規加入の制限のみは撤廃された。明治3年には「商社」に改組され、明治13年まで存続している。杉浦店は解散時に肝煎を勤めており、清算業務にあたっている。
(関係地)山城国京都‐京都府
(主題)木綿問屋
(役職等)木綿問屋
伝来 1949年度に旧三井文庫保管のものを譲渡。
入手源 旧三井文庫より譲渡。
範囲と内容 「京都十仲間」関係の史料が中心で、宝永5年の行事覚帳に始まる。しかし元文4年以降文化の中頃まで70年間の史料を欠き、その間の流通機構の変化に伴う仲間編成の多様化・変質などの過程に不明な部分が多く、加えるに、寛政4年江戸内店仲間の「拾組諸問屋書上之写」を含むなど、従前の「京都十仲間史料」に惑わされ、その理解に混乱を招いた。江戸後期の京都呉服店廿軒組を母胎として明治以降結ばれた「呉服結社」の清算事務を担当した杉浦家が本史料の旧蔵者であると検討をつけたところで、漸く本史料群が単一の「京都十仲間史料」ではなく、京都を本店として、江戸本石町4丁目に呉服・太物の販売店を構えていた大黒屋杉浦家が往時に係わったそれぞれの時期の史料と考えれば、いわゆる「十仲間」以外の夾雑的史料の存在の意味も見えてくる。ただし、杉浦家自身の経営史料は伝わらない。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第30集(1979年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 杉浦家の史料としては、「杉浦家日記」95冊が京都府立総合資料館に家蔵されている。三井高維収集文書(fond)の記述を参照。
出版物 『史料館所蔵史料目録』第30集(1979年)所収の解題を参照されたい。
注記 当館収蔵以前から「京都十仲間史料」と呼ばれてきた。目録での表記は、「大黒屋杉浦家旧蔵(京都呉服十仲間)史料」。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

Copyright © National Institute of Japanese Literature All Rights Reserved.