識別記号 | ac1950003 |
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資料記号 | 25C |
標題 | 出羽国久保田小貫家文書 |
年代 | 1754年~1913年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1754(宝暦4)年-1913(大正2)年、主として1800年代から1880年代まで。 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 4m/837点 |
物的状態注記 | 837点数量の内訳(『史料館所蔵史料目録』第33集による)378冊、334通、39綴、51枚、35舗(但し、総量を819点としている。なお、基本カードの記載とは異なる。) |
出所・作成 | 小貫家 |
履歴 | 久保田(秋田)藩士小貫氏は、秀郷流藤原氏の子孫と称し、常陸国那珂郡に居住したとき佐竹氏に属し小貫郷に居住して小貫氏を名乗った。1602(慶長7)年、佐竹氏の秋田移封に際し小貫俊敏が起こした二男家(金治家)の分流小貫政緒は、佐竹義重に随って仙北郡六郷に住し、後に久保田に移った。仙北郡今泉村などを知行地として86−100石を領し、明治維新を迎えている。 この間、小貫氏の役職は、例えば1830−1860年代に小貫東馬(頼誠)が院内銀山の勘定方または財用方、土崎湊役所の詰合、軍事方、仙北・山本郡奉行となっている。秋田藩政の中枢に関与しているわけではないが、同藩でも主要な産業である院内銀山・阿仁銅山など鉱山経営に深く関わっている。また、郡奉行を勤めていたことから、藩の郷村支配の実務を担当し、窮迫する藩財政の建直しに遭遇し、領内の豪商に賦課する土崎湊の出入役銀徴収に当たっている。 (関係地)1.出羽国仙北郡六郷‐秋田県仙北郡六郷町[現在]|2.出羽国秋田郡久保田‐秋田県秋田市手形新町‐新栄町[現在] (主題)藩士|銀山詰合|郡奉行 (役職等)藩士|銀山詰合|郡奉行 |
伝来 | 1950年に原蔵者より譲渡。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | 『史料館所蔵史料目録』第33集では、藩主佐竹家及び藩法令など小貫家の役職にかかる鉱山、郷村、財政、軍事、維新後の久保田藩政、小貫家の家政関係に大別し次のごとく、大項目、中項目を設定している。 (1)佐竹家(藩侯、法令、記録)、(2)鉱山支配(鉱山支配、絵図)、(3)郷村支配(郡方、交通)、(4)財政(勘定方、湊出入、作事)、(5)軍事(軍制、海防、蝦夷地)、(6)久保田藩(布達、官制、風聞)、(7)小貫家(家政、日記、書状、写本・絵図) 上記のうち、(1)佐竹家では、藩主佐竹家に関する史料があるほか、藩法を主とする法令集等は藩政上基本的な記録であり、本文書群の特色をなしている。(2)鉱山支配では小貫東馬(頼誠)が、院内・畠・阿仁各鉱山に関わった1838-1857(天保9-安政4)年に集中して残されている。1764(宝暦14)年の幕府の阿仁銅山及び周辺1万石上知に対する藩の撤回運動の記録「履尾厳秘録」、また、詰合中の日記、鉱山運営や「出銀勘定」はじめ経理上の記録がある。また、(7)小貫家では小貫頼誠・頼晟父子の日記が1839(天保10)年以降、1870(明治3)年に亘って残存している。 院内銀山との関わりで、当館所蔵史料のうち、「出羽国秋田郡南比内大葛金山荒谷家文書」(25B 44F)が関連する。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | 『史料館所蔵史料目録』第33集(1981年) |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第33集(1981年);第33集の表記は「出羽国久保田佐竹家家中小貫家文書」 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 小貫瑞夫氏所蔵文書(東京都中野区)がある。 |
出版物 | |
注記 | 関係記事:『史料館報』第36号、大野瑞男「秋田藩家臣文書の整理」。史料館で複写分の『小貫瑞夫氏所蔵文書複写目録』が存在するとの情報がある。複写史料、目録とも要調査。小貫家の旧住所:手形新町4番地|新栄町7―11。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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