識別記号 | ac1950006 |
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資料記号 | 25F |
標題 | 出羽国秋田郡大館中田家文書 |
年代 | 1637年~1947年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1637(寛永14)年-1947(昭和22)年、ただし、初出の史料は写本である。この史料群としては、1726(享保11)年以降で、おもに幕末1850年代から維新後の1890年代のものが多い。 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 10m/929点 |
物的状態注記 | 929点(コピー分を含む。)数量の内訳主として基本カ―ドによる。626冊、125通、85綴、2枚、7舗、39袋、4括、1箱、コピー40点 |
出所・作成 | 中田家 |
履歴 | 中田氏は、常陸佐竹氏の家臣で常陸長倉に住んでいたが、1602(慶長7)年、直家の子2代定直のとき、佐竹氏の秋田移封がありこれに従った。同藩では佐竹西家の組下に属したので秋田郡大館に移り、秋田郡花岡村などに50石余の知行地を給せられた。 幕末は、9代直贇(学助)、10代舉直(太郎蔵)と続くが、中興の祖とよばれた中田太郎蔵は、詩に長じ藩校博文書院教授見習となり、また戊辰戦争期には銃士組頭として従軍した。維新後には、大館町長を勤めた。また、同地方で商業に従事し、金融業を営み土地を集積して地主経営を行ったほか、佐竹侯爵家を旧家臣が援助し田地を提供した御田地の土地管理人となった(中田太郎蔵著『貢献備金紀事』)。太郎蔵の長男直哉は、由利郡・仙北郡の郡長、1910(明治43)年から大館町長、次いで県会議員を勤めた。またこの間、大館中学の再建、大館実科女学校の創立に主導的な役割を果した。直哉の後嗣3男亮直(史料館移管当時の当主)は横浜正金銀行勤務であったが、地主経営を継承するかたわら町会議員、第四十八銀行取締役などを勤めた。 (関係地)出羽国秋田郡大館‐秋田県北秋田郡大館町長倉‐秋田県大館市長倉町[現在] (主題)藩士‐町長|郡長|県会議員|地主 (役職等)藩士‐町長|郡長|県会議員|地主 |
伝来 | 1950年度に原蔵者より譲渡。さらに1982年に同家に残る判物・家譜類の電子式コピーの寄贈を受けた。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | 文書群の構造は、久保田(秋田)藩士(また佐竹侯爵家土地管理人)として授受作成したもの、維新後の郡・町村行政に関わるもの、さらに中田家の地主経営をはじめ家政関係のものに大別される。 (1)久保田藩・佐竹家関係ではa,久保田藩にかかる「秋藩分限帳」「江戸御供帳」など、b,戊辰戦争の「戦争(覚)書」「出兵次第書」「大館戦争概略」など、c,佐竹侯爵家にかかる「佐竹様所有地料取立帳」「佐竹侯預金勘定帳」「貢献条約書」「部垂町邸第修繕費控」「佐竹侯爵歓迎書類」などがある。 (2)郡・町村行政関係では町村制、郡制令達、学校関係、また郡長引継書類などがある。 (3)家政関係ではa,家譜、知行地、物成にかかる知行地判物、「源姓中田氏略系」(コピー)、「御野帳書抜」「年々指上高帳」「物成小役取立帳」など、b,地主経営・土地にかかる「地料収納帳」「毛見控帳」、c,家事にかかる「日記」「家作工場日記」など、d,その他書状類、「田地切絵図」がある。 なお、『大館市史編さん調査資料』第1集「一関家文書目録」(同編さん委員会、1971年)に本史料の目録が収録されている。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | 未整理分(1箱)は閲覧できない。 |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 中田易直氏(東京都新宿区)が、上記、判物・家譜類その他を所蔵している。 |
出版物 | |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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