| 資料記号 |
26A |
| 標題 |
信濃国松代真田家文書 |
| 年代 |
1687年~1898年 |
| 主年代 |
江戸後 |
| 年代注記 |
1687(貞享4)年-1898(明治31)年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
225m/28099点 |
| 物的状態注記 |
2万8099点、ほかに未整理分多数。 |
| 出所・作成 |
真田家 |
| 履歴 |
松代藩主真田家は、戦国期には信州上田から上州沼田へかけて勢力を張り、関ヶ原戦の後、信之の代に従来の所領3万8000石と沼田の2万7000石とのほかに、新たに3万石の加増をうけて合計9万5000石として、改めて徳川家康より上田城を与えられた。その後信吉に3万石、信政に1万7000石を分与したが、1622(元和8)年に4万石を加増されて合計8万8000石で松代に移され、1656(明暦2)年に信政が沼田より戻って家督を継いだ際には10万石となり、以後俗に川中島10万石の領主といわれた。 藩政は初代信之35年間に基礎が設定され、2代信政(2年間)、3代幸道(70年間)を経て、信弘・信安・幸弘・幸専(彦根藩主井伊直幸四男)・幸貫(老中松平定信次男)・幸教・幸民(宇和島藩主伊達宗城次男)と10代、約250年にわたって松代に在封し、転封がなかった。とくに7代・8代を井伊家及び松平家からの養子を迎えたことにより、外様大名真田氏は譜代大名に準ぜられることになり、幸貫は1841(天保12)年に幕府老中(海防掛)となった。維新期の松代藩は10代幸民のもと、信濃諸藩の中では、比較的早く討幕派に加わり、新政府方として戊辰戦争に参加した。維新後の真田氏は1869(明治2)年6月の版籍奉還にともなって、松代藩知事に任ぜられ、次いで1871(明治4)年7月に廃藩置県によって松代県と改まるとともに知事職を免ぜられた。同年11月に長野県に松代県も編入されることとなり、翌1872年2月に長野県への事務引継を完了し、元和以来の松代藩は終焉した。真田家は1891(明治24)年より伯爵に叙せられた。
(関係地)信濃国埴科郡松代‐松代県埴科郡松代‐長野県埴科郡松代町‐長野市松代町[現在] (主題)大名(外様・準譜代)|老中|藩知事|華族 (役職等)大名(外様・準譜代)|老中|藩知事|華族
|
| 伝来 |
1951年に原蔵者より譲渡。 |
| 入手源 |
真田家 |
| 範囲と内容 |
真田家文書は、真田家のいわゆる家史料と藩の行政を中心とした藩庁史料とに大別できるが、前者に比較し後者の比重が圧倒的に多いところに第1の特色がみられる。さらにこの藩庁史料にはいわゆる編纂物などは殆ど見当らず、各役局で日常の執務の必要から作成された史料が多い。このことと関連して、藩主や側近家臣または家老らが関与する藩の重要施策のみに片寄らず、藩の職制や業務の上では末端に近いと思われる人々や仕事に関する事柄を示す史料が少なくない。これらの史料は極めて具体性をもち、藩政の実態を窺うには欠く事のできないものであり、本文書の特色の第2にあげることができる。史料の残存は、前述のように1622(元和8)年以来転封がなく明治維新まで続いたため、移動による史料の廃棄・紛失を免れたことが幸いしたと考えられる。しかし長年月の間に水災火難による亡失は数次に及び、本文書の全体構成としては、1804-1829年(化政期)以後が圧倒的である。 本文書は、その作成事情からみて次の3つに大別される。(1)幕藩関係史料。これは幕府と松代藩真田家との間で授受された文書及び、その写しや控えである。すなわち、領知、規式、勤役に分類されるもので、領知朱印状・老中奉書の他、幕府よりの達書・触書の類、そして真田家の側より提出する伺書・問合書などが大部分を占める。 (2)藩際史料。これは専ら江戸において真田家と他大名との間で授受された文書群である。すなわち、慶事・奥向・江戸屋敷・交際等の項目に入るもので、その中心は交際の項にみられる留守居書状である。 (3)藩内史料。これは松代藩内部で作成授受されたもので本文書の大半を占めるものである。すなわち真田家の奥向史料と参勤出府・上洛等に関する道中入料勘定史料である。前者では婚姻吉凶関係史料を中心とした大名の日常的な私的生活に由来するものであり、後者は供侍への馬銀等の支給、荷物運搬の人馬賃等に関するものである。とくに農村の村役人等によって作成・上申された史料が多量に存在している。
|
| 評価選別等スケジュール |
― |
| 追加受入情報 |
― |
| 整理方法 |
― |
| 利用条件 |
未整理分10箱と2棚分は閲覧できない。 |
| 使用条件 |
― |
| 使用言語 |
Japanese |
| 物的特徴及び技術要件 |
― |
| 検索手段 |
『史料館所蔵史料目録』第28・37・40・43・51・59集(1978・1983・1985・1986・1990・1993)、『史料目録』第86・87・88・89・90・91集(2008・2008・2009・2009・2010・2011年)、収蔵歴史アーカイブズデータベース
|
| 原本の所在 |
― |
| 利用可能な代替方式 |
日記類を対象に当館でマイクロ撮影 |
| 関連資料 |
(1)長野市所管・真田宝物館は旧所蔵地である真田邸の中にあり、1万点余の史料が収蔵されている。この宝物館所蔵の史料は、1966年に旧藩主真田家から当時の松代町に寄贈され、1969年に同町が長野市へ編入されたことにより、長野市へ所管替となったものである(『史料館報』23号、1975年12月)。当館では、宝物館史料の一部をマイクロ撮影によって収集した(F7506
F7603
F7701)。(原島陽一「宝物館所蔵真田家文書の特色と意義」真田宝物館編『松代』第4号、1991年)。 (2)真田家(東京都世田谷区)所蔵の藩主御手元文書、明治以降の家扶局関係書類などは当館に寄託されている(当館寄託史料)。(3)上記真田家には藩士の家譜類が保存されている(当館マイクロ収集F9405)。
|
| 出版物 |
『長野県史 近世史料編』第7巻北信地方(1)(2)(3)(長野県、1981年−1982年)、米山一政編『真田家文書』上・中・下巻(長野市、1981年)、国立史料館編『真田家家中明細書(史料館叢書8)』(東京大学出版会、1986年)
|
| 注記 |
|
| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1951001 |