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清水谷家は、藤原北家閑院流、西園寺家庶流の堂上である。鎌倉時代初期に太政大臣西園寺公経の次男実有を祖に立てられた。はじめ一条、または大宮と称しており、史料上にも散見する。戦国期に中絶するが、近世初期閑院一流の権大納言阿野実顕の弟忠定(のち実任)が再興した。近世の家格は羽林家、左近衛中将、参議、権中納言と昇進し、権大納言を極官とした。史料から小番詰、内々番頭、小御所奉行など朝廷内の様々な役職へ就任したことや臨時御用を勤めたことが確認できるが、詳細は今後の課題である。また、代々能書をもって朝廷に仕え、笙を家業とした。
(関係地)山城国京都‐京都府京都市[現在] (主題)公家‐華族;小番詰‐内々番頭‐小御所奉行 (役職等)公家‐華族;小番詰‐内々番頭‐小御所奉行
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