【下総国相馬郡藤代村飯田家文書】
識別記号 ac1951004
資料記号 26D
標題 下総国相馬郡藤代村飯田家文書
年代 1631年~1902年
主年代 江戸後
年代注記 1631(寛永8)年-1902(明治35)年、多くは近世中期から明治期のもの。
記述レベル fonds
書架延長/数量 32m/8028点
物的状態注記 8028点
出所・作成 飯田家
履歴 飯田家初代繁氏は横瀬能登守永氏の子息とされ、横瀬氏を名乗る。没年は1626(寛永3)年である。しかし、3代吉直(宝永3年没)の時に「飯田」の姓に改称し、1892(明治25)年になって再び横瀬氏に復姓した。本文書群の対象年代は飯田の姓であった時期に該当するため、文書群名も飯田家文書とした。 同家では寛永期の下総相馬谷原の開発において伊奈半左衛門より除地高を給付されており、開発名主としての性格も強い。ただし、藤代村は上下両組に分れ、それぞれに名主が置かれた。飯田家は、享保の頃には上組の庄屋を勤めたが、弘化期頃には下組の名主も兼帯した。また、藤代は水戸街道の宿場であり、飯田家は同宿の本陣も勤めた。水戸家など大名通行も頻繁であり、これに関係する文書も少なくない。なお、藤代宿は隣村宮和田との相宿であり、助郷村は近隣29か村、高は1万9000石余であった。また改革組合村の寄場も藤代と隣宿取手を核に設定され、幕末には寄場32か村の大惣代を勤めた。1868(明治元)年土浦藩から領中見廻を命ぜられ、また、房総三州鎮静方信田歌之助から周旋手伝を命ぜられた。1871(明治3)年9月には葛飾県から五大区五小区副戸長、1872(明治4)年には印旛県から五大区六小区戸長に、1873(明治5)年12月には千葉県から十四大区四・五区区長にそれぞれ任命された。その後、1879(明治12)年、1886(明治19)年には藤代宿外各村連合戸長も兼ねた。1889(明治22)年相馬町の成立に際しては初代町長となり、町会議長を兼ねた。1896(明治29)年には相馬町消防組組長に就任した。また、この間、1874(明治6)年には千葉県から蚕種大惣代を命ぜられ、翌年には蚕種規則改正による組合条例発行により組合「冨総組」頭取に選出され、1878(明治11)年までこれに従事した。
(関係地)下総国相馬郡藤代村‐葛飾県‐印旛県‐千葉県‐茨城県北相馬郡藤代町藤代[現在]
伝来 1951年度に古書店を通じて購入。
入手源 古書店
範囲と内容 飯田家文書は、大きく5つからなる。(1)藤代村名主文書、(2)本陣文書、(3)関東取締出役と改革組合村に関する文書、(4)近代区長・戸長関係文書、(5)蚕種組合関係文書、(6)家文書などからなる。(1)藤代村名主文書は、近世後期に公用の御用日記・御用留が30余程見られ、また、同様に近世後期に年貢に関する検見帳、組ごとの引方帳、取付帳、年貢勘定帳、差引勘定帳、蔵入帳、津出帳などが相当の密度で現存する。諸役(鹿狩・水銭・足役・郷夫など)負担に関する文書も多い。さらに、小貝川からの用水に関する史料、ことに岡堰関係史料、小貝川普請に関するものが揃っている。助郷や宿、渡船場関係もある。(2)には、本陣御用留(文政-幕末)、本陣屋敷の修復、水戸藩・土浦藩関係者の宿泊・通行、宿割帳など、本陣の諸機能に関する史料が近世後期に限られるが良く揃っている。(3)には、飯田家が改革組合村の大惣代を勤めたため、御取締筋御用留、改革入用割帳、浮浪関係文書が見られる。取手・藤代を寄場の核に組合村が結成されたため、取手宿の大惣代からの書状も多い。(4)には、戸長・区長・連合会議長・相馬町町長などを歴任したことにより、御用留・役場日記・公用簿、役場書類の綴などが1870年代までほぼ揃っており、1889(明治22)年の町村制の施行後に文書が極端に少なくなる。(5)は、蚕種関係の文書である。同家は、1874(明治7)年に千葉県から蚕種大惣代を命ぜられ、翌年に蚕種規則改正による組合条例発行によって組合「冨総組」の頭取に選出された。年次は1876年から1878年まで、組合は千葉県から茨城県に広域に広がる。文書数も多い。(6)相続関係・各種日誌・教育・和漢の書籍などがよくまとまっている。経営関係は小作、質地関係、金銭出入帳が見られる。書状類も多い。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件 虫損により傷みのひどいものがある。
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第26・27集(1976・1977年)。ラベルの表示は「横瀬家文書」とある。
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

Copyright © National Institute of Japanese Literature All Rights Reserved.