【甲斐国巨摩郡穴山村生山家文書||OIYAMA family papers and collections of Anayama village, Koma district, the province of Kai】
識別記号 ac1951007
資料記号 26G
標題 甲斐国巨摩郡穴山村生山家文書||OIYAMA family papers and collections of Anayama village, Koma district, the province of Kai
年代 1560年~1919年
主年代 江戸後
年代注記 1560(永禄3)年-1919(大正8)年
記述レベル collection
書架延長/数量 2m/721点
物的状態注記 721点(226冊、42綴、77枚、369通、5帖、2巻)
出所・作成 生山家
履歴 生山氏は代々穴山御名方神社(黒駒明神)神官。同村穂見神社(稲倉明神)神官も同姓であるが、本文書の出所は前者である。黒駒明神は字伊藤窪に位置し、社領1石9斗8升5合。生山氏は1581(天正9)年、武田家新府城取立の際に生山刑部が地鎮祭をつとめたと伝えられ、幕末期の生山豊後昌真で刑部以来10代という(『甲斐国社記・寺記』第1巻、550頁)。生山氏は黒駒神社以外の神職もつとめ、とくに生山昌真は明治期以降、安都玉村諏訪大明神祠官、穴山村穂見神社祠官のほか、下條村南下条福地八幡神社、 穴山村巌宮社、祖母石村神明宮、上手村御崎神社などの社掌に任ぜられている。また生山氏は天保末期に甲府代官の命により、自宅を校舎として講会所「堯民社」を設立、1871(明治4)年には寺子屋として生徒34人がいたという(『韮崎市史』中巻)。生山昌真は1873(明治6)年に巨摩郡第十区小学校訓導に任ぜられている。
(関係地)甲斐国巨摩郡穴山村‐山梨県北巨摩郡韮崎町穴山‐韮崎市穴山町[現在]
(主題)神官
(役職等)神官
伝来 1951年度に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書群は大別して、(1)神職文書と(2)家文書から構成されると考えられる。(1)神職文書は、黒駒明神関係文書を中心に次のようなものがある。A,黒駒明神関係(由緒書、社領書上、明治初期の社領払下願い、社殿修復関係など)、b,他社関係(神職として関わった他社の由緒書、明細書上、神社財産土地登録申請書など)、c,村関係(神官の立場で立会人、扱人として関わった穴山村その他の村民に関わる事件の文書など)。(2)家文書は、必ずしも(1)と明確に区別できるものではないが、a,系図・由緒書関係、b,土地関係(土地証文、寄進地、小作経営、所持地年貢など)、c,その他、に分けることができると考えられる。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。(旧文書群記号26G-1)
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 仮目録(昭和26年度)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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