【出羽国田川郡大山村大滝直之助家文書】
識別記号 ac1951008
資料記号 26H
標題 出羽国田川郡大山村大滝直之助家文書
年代 1642年~1931年
主年代 江戸後
年代注記 1642年(寛永19)年-1931(昭和6)年、主に1830年代から1900年代までのもの。
記述レベル fonds
書架延長/数量 8m/1931点
物的状態注記 1931点
出所・作成 大滝直之助家
履歴 大滝直之助家は、大山村(蝦夷地向けとして移出される大山酒の産地として知られる)の酒造家大滝藤左衛門家の分家で、1世藤左衛門の3男三郎(光憲。1799年−1862年、寛政11年−文久2年)の起こした家で代々直之助を名乗っていた。稼業は酒造業の外、幕末には田地33石4斗余(反別3町8畝)を保有していた。1832(天保3)年に変造酒の発生から経営が悪化し、一時、破産状態になったが、初代三郎の妻の実家である田川郡加茂村の回漕業秋野与四郎家の資本援助を得て酒造業を継続した。 大山村は、鶴岡酒井家の所領で、一時、1647(正保4)年に酒井忠解家の大山藩(1万石)が置かれたが、同藩が改易となった後は酒井家領と幕府領とが頻繁に入れ替わった。1844(弘化元)年たびたびの支配替えを不満として大山騒動が起き首謀者の処罰が行われた後は、初代三郎が名主の上格にあたる年寄となり、領主側との下達上申の仲介役として村政に携わった。同村は廃藩置県後、酒田県・鶴岡県と代わり、1876(明治9)年、山形県の管轄となった。 明治維新後も大滝家では家業のかたわら、3代直之助が町会議員、また、鶴岡米穀取引所理事などの公職を勤めた(同取引所は大山に支庫があった)。また大滝家は初代三郎が国学を修め、幕末の国学者鈴木重胤との交際があり縁戚関係を結んでいる。この史料群に国学及び鈴木重胤関係の史料が含まれているのはそのためである。
(関係地)出羽国田川郡大山村‐山形県西田川郡大山村‐山形県西田川郡大山町‐山形県鶴岡市大山[現在]
(主題)酒造業|村年寄|町会議員
(役職等)酒造業|村年寄|町会議員
伝来 1951年に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者
範囲と内容 大滝直之助家文書は主として大滝三郎(初代直之助)が年寄を勤めた大山村の村政関係が主体を成している。その他、大滝家にとって対外的な公的史料、大滝家の家業・家政関係がこれに続くほか、姻戚関係にある秋野家文書(伝来経過は不明)が残っている。したがって、大別すると(1)大山村(支配、土地、貢租・上納金、村、鶴岡米穀取引所(大山支庫)、高田麦村分、戸口、土木・普請、囲穀、運輸、寺社)、(2)大滝家(酒造、家計、小作、吉凶、書状)、(3)秋野家に区分される。 これらのうち、(1)大山村関係文書では大滝三郎年寄就任以前からの1642年(寛永19)年を最古とする検地帳、大山村の外、砂押村・丹波興屋村・栃尾村を含む年貢割付帳、皆済目録その他大山騒動関係文書、4か村それぞれの「入用帳」、村の機能と密接な関係のある鶴岡米穀取引所大山支庫文書、酒の神として尊崇された・椙尾神社に関する文書などがある。(2)大滝家家業・家政関係文書のうちでは、地主経営や冠婚葬祭の史料がほとんど残存していない。その一方で、酒造業のための経営・技術関係の文書があり、家計では、「大福帳」「書出」が多く残っている。(3)秋野家関係も村政及び家政関係の史料である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第53集(1991年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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