識別記号 | ac1951021 |
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資料記号 | 26U |
標題 | 武蔵国江戸金吹町播磨屋中井家文書 |
年代 | 1729年~1896年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1729(享保14)年-1896(明治29)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 8m/88点 |
物的状態注記 | 88冊 |
出所・作成 | 中井家 |
履歴 | 中井家は、中井銀行の前身をなす播磨屋新右門店(略して播新店・播磨屋新右門店は間違いではなく、衛は入らない)の店主であり、先祖は同家の系図によると近江国甲賀郡水口の住人長兵衛となっている。始祖となった初代新右門(永澄)は、尾張屋又兵衛の末弟にあたり、元禄年中から本革屋町の本両替商三谷忠左衛門に奉公した。1714(正徳4)年に独立し、初め脇両替となり、三組のうち世利組に属した。 享保期より、主として西国・北陸大名の江戸藩邸の出入商人・掛屋御用を勤め、また幕府代官所の掛屋御用をも勤め、1788(天明8)年勘定所御用達、のち郡代附御貸附方、馬喰町御用屋敷御貸附に任命される。1808(文化5)年本両替仲間に加入する。1847(弘化4)年町奉行所から「永々苗字御免」をうける。 明治新政府の時、会計官御用に登用され、商法会所元締頭取、通商司為替会社并御貸附方に就任する。両替業務は、中井為換店として継続し、埼玉県金銀出納御用、浦和大蔵省為換方として官公金取扱機関となった。1883(明治16)年私立中井銀行を開業し、金吹町を本店とし、埼玉・千葉県下に4出張所を設けた。1920(大正9)年合名会社を株式会社に改め、1927(昭和2)年の金融恐慌で閉店に至った。 (関係地)武蔵国江戸金吹町‐東京都中央区日本橋室町[現在] (主題)商人|脇両替|本両替 (役職等)商人|脇両替|本両替 |
伝来 | 三井高堅氏が古書店より購入して三井文庫の収蔵となり、1951年度に旧三井文庫保管のものを文部省史料館へ移譲。 |
入手源 | 旧三井文庫保管 |
範囲と内容 | 1779-1897(安永8-明治30)年の「店日記」83冊を主とする文書類は、(1)帳簿と(2)店日記に分けられる。(1)帳簿には、「永代帳」が含まれ、これは常勤別家手代の当番制による「店日記」の記帳が始まった1776(安永5)年頃に執筆がほぼ終了するとみられる。他に、1883(明治16)年中井銀行設立以降の経過記録は「諸事控」(2冊)に詳しい。1800(寛政12)年の「萬出入日記」は超特大の冊子であり、美濃2つ折りの横帳鎖綴で紙数2185枚、厚さ約3尺(約90_p)、記載の小口分け(インデックス)が 171口も付けられている帳簿である。この形態では、最長のものの標本であるといわれている。(2)店日記は、すべて冊子であり、1冊美濃判約300丁程の平帳仕立てのものである。日記に付された番号でいうと、1779-1799(安永8-寛政11)年までが、三-五番、七・八番、拾弐番、十四番。1801-1897(寛政13-明治30)年までが、改壱番から始まって改九拾六番まで(欠年分20年)の80冊という大部の日記である。この内容は、文化期以降はほぼ1年1冊があてられ、営業上の諸記事の他、社会・世相記事にも触れた克明な記載事項である。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第3集(1954年);『史料館所蔵史料目録』第3集の表記は「播磨屋中井両替店記録」。 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 中井芳雄氏の所蔵史料には店日記(「壱番」「弐番」「改壱番」)があり、マイクロフィルムにて収集した(当館マイクロ収集、F8102参照)。 |
出版物 | 国立史料館編『播磨屋中井家永代帳(史料館叢書4)』東京大学出版会、1982年) |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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