【武蔵国大里郡大麻生村古沢家文書】
識別記号 ac1952003
資料記号 27C
標題 武蔵国大里郡大麻生村古沢家文書
年代 1503年~1923年
主年代 江戸後
年代注記 文亀3-大正12年;近世後期から明治10年代が中心。
記述レベル fonds
書架延長/数量 22m/15000点
物的状態注記 約1万5000点(内、5736点整理済み);一部洋紙、活版、孔版、インク、鉛筆書きがある。
出所・作成 古沢家
履歴 武蔵国大里郡大麻生村は幕府領であったが、1647(正保4)年に幕府領と旗本大久保氏所領の2給地、1663(寛文3)年に幕府領と旗本戸田氏所領に分割し3給地になり、幕府領は一時川越藩領に編入され、3給地が幕末まで継続した。古沢家はこのうち大久保氏所領に属し、名主を勤め、一時期幕府領の兼帯名主も勤めた。1871(明治4)年、3給地が廃されると、戸田氏所領の名主を勤めていた須永氏とともに古沢花三郎が大麻生村副戸長、1873年以後は戸長を1880年まで勤めた。その後、農業に従事するとともに、一時大里郡役所に勤務し、養蚕組合、製糸業、馬車鉄道、鉱山経営等に関係し、1889(明治22)年頃から土建業に従事した。花三郎の嫡子善文氏は陸軍に入って職業軍人になり、その子正文氏が神奈川県茅ヶ崎市に移転した。
(関係地)武蔵国大里郡大麻生村‐入間県大里郡大麻生村‐熊谷県大里郡大麻生村‐埼玉県大里郡大麻生村‐熊谷市大字大麻生[現在]
(主題)名主|副戸長|戸長|地主|土建業
(役職等)名主|副戸長|戸長|地主|土建業
伝来 1952年度に原蔵者より譲渡。
入手源 古沢家
範囲と内容 (1)大麻生村名主文書、(2)戸長役場文書、(3)家文書から構成される。(1)は大麻生村の1647(正保4)年以前は全村分、以後は旗本大久保氏所領分の名主文書である。領主、村、土地、年貢・諸役・伝馬、戸口、金融、用水・普請、寺社関係文書があり、特に年貢・諸役関係が多い。古沢家で名主を勤めた時期の文書が大半であり、また、検地帳・年貢割付状・宗門人別帳等の基本的文書が少ないので、村文書として引き継いだ以外の名主文書が中心である。兼帯名主をした旗本戸田氏所領分の文書も一部ある。なお、大麻生村には古沢家以外の文書群の所在は確認されていない。(2)は1871(明治4)年から1880(明治13)年まで勤めた副戸長、戸長として蓄積された文書である。布告・布達、村、民費・村費、土地、地租改正、租税、戸籍、徴兵、勧業、金融、道路・橋梁、用水、学事、興行関係があり、中でも民費・村費、租税、戸籍、用水関係文書が多い。(3)には江戸時代後期から大正期までの由緒、家計、経営等の古沢家の家文書があり、特に明治期の当主の古沢花三郎関係文書が多い。由緒は天保期に当主古沢清吉がまとめたものが多く、他家の文書を収集した写しがある。経営は持高記録が多く、1503(文亀3)年以来明治期まで断続的にある。また、質屋を営みその関連文書がある。古沢花三郎は1869(明治2)年以後の当主であり、戸長、郡役所職員を勤め、熊谷周辺の政治・産業の指導者との交際が幅広く、また自由民権運動結社の七名社にも加盟し、関連文書があり、実業界で活躍したので地域の政治・産業関係文書が多い。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件 虫損、フケ、汚れが多く、原蔵段階での保存状態は劣悪であったと思われるが、保存手当済み。
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第56集(1992年)、第62集(1996年)、第76集(2003年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 1981年に古沢家が神奈川県茅ヶ崎市に転居するに際して、残存する文書を埼玉県立文書館へ寄託した。その一部を当館でマイクロ収集した(「武蔵国大里郡大麻生村古沢家文書」No.433)。
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

Copyright © National Institute of Japanese Literature All Rights Reserved.