| 資料記号 |
27D 29A 30E 60A |
| 標題 |
甲斐国山梨郡下井尻村依田家文書 |
| 年代 |
1185年~1942年 |
| 主年代 |
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| 年代注記 |
文治元年-昭和17年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
38m/5663点 |
| 物的状態注記 |
5663点 |
| 出所・作成 |
依田家 |
| 履歴 |
依田家は信州依田氏の出と伝えられる。17世紀前半の寛永期には下井尻村に居住していたことが明らかである。1725(享保10)年依田与右衛門長安(民部)のとき、武田家旧臣の由緒を申し出て、石和代官所から「浪人」身分を認められている。下井尻村の村役人としては、17世紀後半の元禄頃から18世紀中期の元文期頃まで、名主、長百姓をつとめている。依田惣兵衛長継から、与右衛門長安を経て、その子与右衛門矩長までの3代にあたる。その後、依田家は表向き村役人はつとめず、もっぱら浪人、地主として村内に力を保ったようである。 幕末期の当主依田道長は新徴組に応募し、明治維新に際しては護国隊に参加した。1872(明治5)年下井尻村戸長となり、以後、山梨県学区取締総理、県会議員、徴兵参事会議員、村会議員、公道会幹事、日下部外三カ村立日下部高等小学校組合長、地方森林会議員、赤十字社商議員など多数の公職を歴任している。また1894(明治27)年から1898(明治31)年まで、山梨県第二区から選出されて衆議院議員をつとめている。地主としての依田家は、18世紀半ばの宝暦期には462石余を所持してすでにかなりの規模になっており、1946年の農地改革時の所有地は田11町3反9畝24歩、畑3町6反6畝5歩、宅地1530.5坪、雑地2反6畝24歩であった。
(関係地)甲斐国山梨郡下井尻村‐甲府県を経て山梨県山梨郡第十二区下井尻村‐第二十六区日下部村下井尻‐東山梨郡日下部村下井尻‐日下部町下井尻‐山梨市下井尻[現在] (主題)名主・長百姓・戸長・学区取締総理・県会議員・村会議員・衆議院議員など;浪人(郷士);地主 (役職等)名主・長百姓・戸長・学区取締総理・県会議員・村会議員・衆議院議員など;浪人(郷士);地主
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| 伝来 |
1952・1954・1955・1985年度の4回にわたって原蔵者より譲渡。 |
| 入手源 |
依田家 |
| 範囲と内容 |
本文書群は、(1)近世下井尻村村方文書、(2)近代下井尻村村政文書、(3)依田家の家文書から構成されると考えられる。(1)は、依田家が17世紀後半から18世紀半ばまで下井尻村の村役人をつとめた関係から、その時期の文書が多い。正徳検地をはじめ、村方全般にわたる文書がある。(2)は、下井尻村が日下部村の一部となる1875(明治8)年以前の文書が中心だが、1885(明治18)年以降の連合戸長役場時代、1889(明治22)年以降の日下部村時代のものも含んでいる。租税、村費、地租改正、学校等に関する比較的豊富な文書がある。(3)は本文書群の中では最も点数が多い。地主経営帳簿や土地・金融証文のほか、浪人身分に関わる系譜や由緒書、および相続、冠婚葬祭関係の文書が大量に存在している。またその他に、先述した依田道長のさまざまな政治活動や事業活動に関わって伝来した文書が多数含まれることも、本文書群のひとつの特徴といえる。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
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| 使用言語 |
JAPANESE |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
『史料館所蔵史料目録』第5・13集(1956・1967年)および別冊仮目録(60A)
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| 原本の所在 |
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| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
下井尻村の近世・近代村方文書は「甲斐国山梨郡下井尻村井尻家文書」(当館所蔵35S
39D)、「甲斐国山梨郡下井尻村宗門人別帳」(当館所蔵59C)、「山梨県山梨市下井尻区有文書」(当館寄託)にも含まれている。
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| 出版物 |
国立史料館編『依田長安一代記(史料館叢書7)』(東京大学出版会、1985年)
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| 注記 |
依田家の浪人身分獲得過程については山本英二「浪人・由緒・偽文書・苗字帯刀」『関東近世史研究』第28号(1990年)を参照した。
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| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1952004 |