識別記号 | ac1953002 |
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資料記号 | 28B |
標題 | 信濃国松代伊勢町八田家文書 |
年代 | 1661年~1911年 |
主年代 | |
年代注記 | 1661(寛文元)年-1911(明治44)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 40m/9138点 |
物的状態注記 | 9138点、このほか未整理分多数。 |
出所・作成 | 八田家 |
履歴 | 八田家の所在地、松代は真田領(表高10万石)の城下町であり、町人町としては馬喰町・紙屋町・紺屋町の"上三町"、伊勢町・中町・荒神町の"本町三町"、肴町・鍛冶町の"脇二町"が存在し、"町八町"と総称された。このうち伊勢町には、枝町として木町と鏡屋町が属していた。八田家は伊勢町居住であるが、元来は、木町居住の八田家から分家したものである。そのため、本家を木町八田、分家を伊勢町八田と呼びわけている。伊勢町八田家は木町八田家3代長左衛門庸重の次男、孫左衛門重以が1707(宝永4)年に分家し、伊勢町に屋敷をかまえたことに始まる。この時以来、伊勢町八田家の当主は代々町年寄役を勤め、町奉行管轄の下に、松代城下、町人町八町の行政管理機能を遂行した。また、1726(享保11)年御用金才覚の功により御目見を仰せ付けられ、翌27年には御扶持30人扶持を下され、3代目以後は給人格御勝手御用役という士分格役職を与えられた。ちなみに、1707−1750(宝永4−寛延3)年までの才覚金元利は金8万5000両余、御用籾86万4000俵余に及んでいる(史料番号い338)。4代嘉右衛門は、1804−1829年(文化・文政期)に産物御用掛、川船運送方御用役、糸会所取締役、産物会所取締役などを歴任した。5代嘉助・知則、また6代慎蔵・知道も産物会所取締役の任をはたした。知道は維新後、明治2年商法掌、廃藩置県後は少属補助商法方に任ぜられた。その後1879(明治12)年・1880(明治13)年、第六十三国立銀行頭取をつとめた。以上は松代藩とのかかわりにおける八田家の役職であったが、伊勢町八田家本来の家業はそれなりの経営組織を形成して運営されていた。八田家の屋号は「菊屋」であるが「角喜」という通称も用いられている。 (関係地)信濃国埴科郡松代伊勢町‐松代県埴科郡松代町字伊勢町‐長野県埴科郡松代町字伊勢町‐長野県長野市松代町松代[現在] (主題)町年寄・藩御用達商人・藩御勝手御用役;給人格;糸会所・産物会所・松代商法社役人 (役職等)町年寄・藩御用達商人・藩御勝手御用役;給人格;糸会所・産物会所・松代商法社役人 |
伝来 | 1953年に原蔵者より譲渡。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | 八田家文書を八田家の組織・役職を基準に、その構成を示すと、以下のようになる。(1)八田家の「内方」の文書。「内方」はいわゆる「家」に当たる組織であり、家政機関であるが、同時に各店を統轄する機関でもあった。文書には系図・家訓・奉公人などに関するものがある。(2)八田家の「店方」の文書。八田家の「店方」は営業の種類に応じて、専門分化し、各店ごとに営業帳簿が作成されている。(3)松代町関係の文書。八田家の当主代々松代町の年寄役を勤めていた関係で伝来した文書であるが、町年寄は4人置かれ当番制をとっていたためか、系統的には存在していない。文書としては町年寄の御用留帳などがある。(4)年貢諸役の請負、御用米金の調達、御勝手御用役、産物御用掛などの松代藩の御用を八田家の当主が勤めていた関係で作成ないし授受され、八田家に伝来した文書。(5)糸会所・産物会所・商法社の文書。八田家の当主が糸会所・産物会所の役人を勤めていた関係で、会所の運営のために作成ないし授受された文書である。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | 未整理分は閲覧できない。 |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第41・48・50集(1985・1989・1990年)、『史料目録』第94・96-97・99・101-102集(2012-2016年) |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | 八田家文書の明治期以降、昭和期に至る文書は長野市立博物館に所蔵されている。なお、八田家には「真田家家中系図書」8冊、佐久間象山よりの書状を巻子仕立にしたもの数巻、八代当主彦次郎の「日記」数冊が保存されている。 |
出版物 | ― |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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