【陸奥国白河郡栃本村根本家文書】
識別記号 ac1953003
資料記号 28C 29E
標題 陸奥国白河郡栃本村根本家文書
年代 1669年~1911年
主年代 江戸後
年代注記 1669(寛文9)年―1911(明治44)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 8m/1201点
物的状態注記 1201点(956冊、118通、41綴、18括、47鋪、14袋、3巻、4枚)、ほかに未整理2箱。
出所・作成 根本家
履歴 根本家は、『東村史』上巻(東村史教育委員会、1976年)によれば、すでに17世紀前半の寛永期には栃本組大庄屋として根本弥右衛門の名が見え、以降、幕末まで代々、栃本組大庄屋および栃本村庄屋を兼務した。白河藩時代までの大庄屋制については未詳だが、1741(寛保元)年、白河・田村・石川・岩瀬4郡に奥州分領8万4000石余を与えられた越後高田藩榊原氏は、栃本組、釜子組、中目組など八つの村組を編成し、浅川に陣屋をおいてこれを支配した。組数は寛政年中に4組増えて12組となる。浅川陣屋もとには触元役所がおかれ、年番触元大庄屋が詰めて触れの取り次ぎ等を行った。その後1809(文化6)年に、榊原領のうち5万石が上知されて幕領になると、栃本村を含む残り3万余石は新たに設けられた釜子陣屋の支配を受けることになり、村組の編成替えが行われた。組数は当初5組を栃本組と浜尾組の2組に統合することが申し渡されたが、嘆願により釜子組が残され、のち他の2組も復活した(前掲『東村史』による)。根本家は幕末期に釜子組大庄屋を兼ねていたようである。また廃藩置県後には戸長、1889(明治22)年の町村制実施後には初代釜子村長をつとめた。なお、根本家の家業等私的な側面については地主であったこと以外未詳である。
(関係地)陸奥国白河郡栃本村‐福島県第六大区第四小区栃本村‐西白河郡東村栃本[現在]
(主題)大庄屋|庄屋
(役職等)大庄屋|庄屋
伝来 1953・1954年度に金沢春友氏より同氏収集史料の一部として譲渡。金沢春友氏については「金沢春友収集史料」(28K)参照。
入手源
範囲と内容 本文書群は「御用万留帳」など白河藩時代以来の文書もあるが、大半は1741(寛保元)年に越後高田榊原領になって以降のものである。したがって榊原時代を基準にして考えると、本文書群は、(1)触元役所文書、(2)栃本組文書、(3)他組文書、(4)栃本村文書、(5)根本家文書、の五つに大別できる。 (1)は最初浅川陣屋、次いで釜子陣屋におかれた触元役所に、根本家が年番触元大庄屋として詰めていたときに作成または授受した文書である。「御用日記」「御用書留帳」を中心に、「御領中酒造米高相調書上帳控」等、領内全体に関わる事項を扱った文書のほか、領内各組から藩に提出された文書の控えなども数多くある。 (2)は栃本組の行政に関わる大庄屋文書で、量的に本文書群の中心をなす。大庄屋所で作成された「栃本組御用留帳」や年貢、人別関係の諸帳簿のほか、組下各村から提出された文書やその控えがある。 (3)は、幕末期に大庄屋を兼帯した釜子組文書のほか、何らかの理由で混入している他組の文書であるが、(1)にあたる場合も多いと考えられ、区別は難しい。 (4)は栃本村の庄屋文書であるが、(1)や(2)に比べると少ない。「栃本村御用留帳」も最初は独立して作成されていたのが、18世紀後半からは組の御用留と合体するなど、根本家の中で組行政と村行政が渾然化する傾向が見られる。 (5)は根本家の私的な文書で、明治期の小作関係帳簿などがある。なお『東村史』下巻に同村史編纂委員会が作成した「根本家文書目録」が掲載されている。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 未整理分(2箱)は閲覧できない。 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第73集(2001年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 「根本虎雄文書」(東村公民館保管、『福島県文化財調査報告書第77集・福島県古文書所在確認調査報告書』、1980年、福島県教育委員会、48頁所収)、「根本暢一郎家文書」156点(福島県文化センター福島県立歴史資料館寄託、『歴史資料館収蔵資料目録』第17集・県内諸家寄託文書〔XIV〕、77頁所収)がある。
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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