識別記号 | ac1953010 |
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資料記号 | 28J |
標題 | 紀伊国和歌山本居家旧蔵紀伊続風土記編纂史料 |
年代 | 854年~1851年 |
主年代 | 中世 |
年代注記 | 854(仁寿4)年-1851(嘉永4)年。古代・中世文書の写本。 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 1m/110点 |
物的状態注記 | 110点(77冊、32通、1巻) |
出所・作成 | 本居家 |
履歴 | 本文書群は、幕命により『紀伊続風土記』を和歌山藩が編纂した折りに、その調査と編集に携わった本居大平と、その後を継いだ養子の本居内遠の旧蔵書であり、編纂過程で調査・収集した古文書の写本類である。大平は1756(宝暦6)年、伊勢国飯高郡松坂に商家の子として生まれ、13歳で宣長に入門した。44歳の1799(寛政11)年に宣長の養子となる。宣長は和歌山藩に召し抱えられていたが、宣長の没後、長男春庭が失明していたために、大平が本居家の家督を相続することになり、47歳の1802年(享和2)年に跡目を仰せ付けられて和歌山藩に出仕、1809(文化6)年に和歌山に移住した。これにより、以後本居家は、松坂に残った春庭の流れと、和歌山の大平の流れとに分かれた。上記の編纂はもとより、千人を超える門人を育成したが、学問的には宣長説の祖述に終始している。78歳の1833(天保4)年、和歌山に没する。墓所は和歌山市の吹上寺。内遠は1792(寛政4)年、浜田久八郎孝祖の子として尾張名古屋に生まれる。29歳の1820(文政3)年に大平に入門、40歳の1831(天保2)年、大平の養子となって、大平の三女(藤子)と結婚する。養父の後を継いで上記編纂に携わり、調査のため和歌山藩内を巡視した知見を基に、紀伊国の旧跡に関する考証をいくつか著している一方で、家学である国学の普及に務め、多くの門人を育成した。1854(安政元)年に江戸藩邸に国学を教授する国学所が設置されると、教官に任ぜられて江戸へ赴いたが、翌年江戸赤坂の藩邸で没する。墓所は品川区北品川の東海寺にある(『国史大辞典』13、吉川弘文館、1992)。『紀伊続風土記』の編纂事業は、1806(文化3)年和歌山藩奥詰儒官仁井田好古らに命じられる。1803(享和3)年の会津藩に対する『新編会津風土記』(全120巻)に次ぐ幕命である。そのスタッフを挙げれば、総裁仁井田好古、纂集仁井田長群・本居内遠・加納諸平・赤城世謙、助纂宮井胤綱、物産小原良直、繕写西郷寿徴ほか5名、校対小泉保興・金原恭意、地図勝本義隣、「今不在者」として纂集本居大平・崖常太郎、助纂廣瀬軌命・荻野朝敬であり、当時の儒学・国学・本草学者が編纂に参加した。編纂事業は城内の西の丸に局を設置して進められ、領内の各村浦に指示して記録・文書の提出を求め、さらに仁井田長群・加納諸平・本居大平らを現地に派遣し実地調査を行っている。崖常太郎は那賀・伊都両郡を36日かけて廻り、さらに野崎・貴志・山口の3組をも調査しているので、各村浦からの報告を基礎としながらも現地調査で裏付けをとりながら進めたことは、調査内容に信頼のおける著述となった。2度の中断はあったものの、1839(天保10)年11月、『紀伊続風土記』全195巻が完成。その内容は、提綱3巻(総論・古風土記逸文・国造・国司・守護・国主・制度・神社総論・仏寺総論)、若山・7郡の地誌89巻、物産5巻の計97巻、付録として古文書部15巻、神社考定部2巻、高野山之部60巻、高野山総分法目録21巻を加えて合計195巻に及ぶ労作で、今日に至るまで紀州史研究の基本的文献とされている(『紀伊続風土記』和歌山県神職取締所発行、1910年)。 (関係地)紀伊国名草郡和歌山‐和歌山県和歌山市[現在] (主題)藩士;国学者 (役職等)藩士;国学者 |
伝来 | 本文書群には、「本居文庫」という堅長の蔵書印が捺されている。これは、本居内遠の後を継いだ本居豊穎の蔵書印である。豊穎は父(内遠)の後を継いで和歌山江戸藩邸内の国学所の教官となり、維新後は神官として活動しながら、1882(明治15)年東京大学文学部古典講習科の開設に際し講師を委嘱され、1896(明治29)年には東宮侍講に任ぜられ、皇太子(大正天皇)の教育にもあたった。したがって、和歌山本居家の旧蔵書は大平−内遠−豊穎と引き継がれ、豊穎の嗣子長世から1928(昭和3)年に三井合名会社に移譲と同時に三井文庫に寄託されていたものを、1937(昭和12)年同会社から同文庫に譲渡され、1953年に三井文庫よりその一部の譲渡を受ける。 |
入手源 | 1953年に三井文庫より譲渡。 |
範囲と内容 | 本文書群は、『紀伊続風土記』編纂過程で調査・収集した古代・中世文書の写本である。現在の整理番号順に内容を記す。1.「新宮花井村湯川氏系」、2.「紀州名草郡伊太祁曽社寄進状」(1383‐1587、永徳3-天正15年)、3.「紀伊国古券」(854・仁寿4年、915年・延喜15年、942年・天慶5年)、4.「紀伊国和太御庄中分一方帳」(1320年・元応2年)、5.「紀州報恩僧寺至徳3年丙寅歳内検帳」、6.「吉田郷検田畠取帳」(1295年・永仁3年)、7.「大恩寺護念寺所蔵文書」、8.「紀伊国古文書纂 凡例目録」(1851年・嘉永4年)、9.「御撰ニ付崎山家往古書物風土記御調帳写指上帳」、10.「結城楠太夫所蔵古文書」(内題は南帝之綸旨、親王家之令旨、諸大将之書状并足利之御教書)、11.「遊佐内記所蔵古文書」、12.「戸田藤左衛門所蔵古文書」(戸田隆重)、13‐19.「那賀郡古文書」一-七(鈴木芳右衛門写)、20‐22.「在田郡古文書」一-三(鈴木芳右衛門写)、23‐31.「牟婁郡古文書」壱-玖(本居稲楠写)、32・33.「日高郡古文書」(鈴木芳右衛門写)、34‐36.「伊都郡文書部」(西田内蔵写)、37‐40.「名草郡古文書」(小島備源写、但し「弐 日前宮蔵 参 歓喜寺蔵別稿アリ」と記され、前者は整理番号45‐52、後者は整理番号67‐69で、名草郡は全15冊である)、41‐44.「海部郡文書目録」「海部郡古文書」壱-参(本居稲楠写)、45‐52.「日前宮文書」(西田内蔵・小島備源・本居稲楠・鈴木芳右衛門・本居弥四郎写)、53・54.「高野山古文書」、55‐66.「藩中古文書」一-十二(小島備源写)、67‐69.「(和佐歓喜寺文書)」、70.「(岡見左衛門所蔵古文書)」、71.「紀州在名帳」(紀州七郡の村名のよみと万葉かな表記)、72.「口宣案」(1460-1683年、長禄4-天和3年)、73.「紀伊国造文書」(1239-1465年、延応元-寛正6年)、74.「古文書断翰」、以上である。なお、『紀伊国続風土記』の附録古文書部に収録された文書は「附」と朱書されている。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | 東京大学文学部国文学研究室の本居文庫は、本居大平の蔵書を中心とする和歌山本居家旧蔵書である。「本居旧蔵本目録」(三井文庫、1938)は、三井文庫に譲渡されたものを、著述稿本類と伝来図書に大別した3661件の目録(史料館譲渡分を含む)である。その他管見の限りでは、鈴木淳「文海堂山口昭方宛本居大平書簡」(「国学院大学日本文化研究所紀要」第46輯、1980)、同「山口家蔵本居大平伝新資料紹介」(「同」第53輯、1984)、志村圭志郎・鈴木淳「志村家蔵本居大平および山口彦次郎伝新資料」(「同」第55輯、1985)に紹介や翻刻されている。) |
出版物 | 『和歌山市史』第4巻(1977年)、『同市史』第6巻(1976年)、『和歌山県史』古代史料1、2(1981・1989年)、『同県史』中世史料2(1983年)。 |
注記 | これまでの文書群名は「紀伊国古文書」。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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