【三井文庫旧蔵資料<袋綴本>|| MITSUI Bunko collection (double-leaved books)】
識別記号 ac1953014
資料記号 28N 29H 29K
標題 三井文庫旧蔵資料<袋綴本>|| MITSUI Bunko collection (double-leaved books)
年代 733年~1932年
主年代
年代注記 天平5年(733)~昭和7年(1932)
記述レベル collection
書架延長/数量 24m/4967点
物的状態注記 4317巻4335冊・2綴・99通・531枚.
出所・作成 三井文庫(4件を除く).
履歴 大正7年(1918)三井文庫は設立された。場所は、現在、当館が所在する東京都品川区戸越豊町である。建物は、コンクリート3階建ての書庫1棟・事務所1棟であった。その後、大正11年に新庫1棟が増築され、これはいくどかの改修を経てなお、当館の敷地内に現存している。 三井文庫の設置目的は、(1)三井家編纂室の機能を引き継いで事業史の編纂などの調査研究を行い、(2)明治以降の新会社の帳簿類を保管することであった。管理は三井家同族会事務局が行った。三井家同族会事務局は明治33年(1900)の三井家憲により、三井元方にかわって設置されたもので、三井家の最高意思決定機関である三井家同族会(三井家同族11家の当主によって構成される)に付属して、同族会および同族一般にかかわる共通の事務を処理した。この同族会事務局の下で嘱託を含めて職員20余名が編纂・調査事業に携わった。 その後、関東大震災により、史料の一部が焼失した。昭和18年(1943)、収集史料・購入図書の増加にともない、2階建ての書庫1棟を増築して、三井文庫分室とした。その管理は、昭和15年に三井合名会社の改組により事業統括機関となった三井総元方(三井同族組合の下部に位置)に移り、さらに昭和19年の三井本社の設立によって三井本社に帰した。このとき「本社調査部戸越分室」と改称された。 上と並行して昭和18年10月、時局柄、空襲を避けるために一部の史料を、神奈川県大磯の北三井家の城山荘に移す作業が進められた。予想は的中し、翌年11月24日、戸越構内に爆弾が落とされ、書庫は無傷であったが、事務室などに被害を受けた。ついで昭和20年5月24日、空襲によって土蔵1棟が全焼して、未整理記録書類5梱、越後屋看板類22枚、江戸時代の和算書156冊、三井物産・三井銀行の旧帳簿類、寄託図書類が失われた。これは、三井本社が本社調査部戸越分室のすべての資料を疎開させるために、疎開先を山梨県東山梨郡神金村に決め、土蔵(矢崎邦之氏所持)の借用準備をすすめていた矢先のことであった。もはや猶予はなく、同年6月18日付で文部省教学局に対して、蔵書の重要性を訴え、輸送の便をはかるように要請し、すべての史料を山梨県に疎開させた。 敗戦後、G.H.Q.による財閥解体指令によって、三井本社の解散が決まった。昭和21年1月、三井本社解散事務の一環として本社調査部は閉鎖された。必然として本社調査部戸越分室は解消、公称を「三井文庫」に復した。このとき、三井文庫の管理は土地と建物を所有する三井不動産株式会社に移った。疎開資料は、同年2・3月までに城山荘・山梨県神金村から戸越へ再び移送された。 三井不動産株式会社では、三井文庫の維持に向けて議論を重ねたが、最小限の人員を残して、家史・事業史料整理を継続するなどを決めるにとどまり、三井文庫は、事実上その活動を停止した。また敗戦の混乱のなかで、所蔵資料が国内外に売却された。昭和24年、資料保存に動き出した文部省、そして当館との関係が生じるにいたった。*なお,新町三井家と聴氷閣については、「諸礼書」(『総覧』No.399)・「聴氷閣収集古文書」(『総覧』No.402)を参照。
(関係地)―
(主題)―
(役職等)―
伝来 当館での三井文庫旧蔵資料の受け入れと、現在、東京都中野区上高田に所在する財団法人三井文庫(以下、「三井文庫」と表記)への資料返還の経過については、すでに『史料館の歩み40年』・『三井文庫―沿革と利用の手引き―』・松本四郎「三井文庫の再建過程について」などに記述がある。以下、これらによって三井文庫旧蔵資料の伝来経緯を簡単にまとめておきたいが、そのまえに今回、出所の原則を踏まえて「三井文庫旧蔵資料」と史料群名を付与した関係から、当館が現蔵する三井文庫旧蔵資料を概観しておくことにする。なお、史料群名を「資料」としたのは、建物・書架・箱などをも三井文庫から引き継いでいるためである。 表1「当館現蔵の三井文庫旧蔵資料」は、これまでに当館が把握している三井文庫旧蔵資料のなかの各史料群の記号・名称等をまとめたものである。 昭和22年、文部省は散逸のおそれのある史料を購入、その他の方法で集める方針を決定した。収集事業にあたっては、学術史料調査委員会を設置し、事務局を東洋文庫内の文部省分室においた。この事業と並行して保存公開機関の設置の準備が進められた。 昭和24年3月、国会で「史料館設置に関する請願書」が採択された。5月、文部省設置法が成立し、同法第九条により史料保存事業は「大学学術局の事務」として正式に始まった。10月、史料類を保存する書庫を必要としていた文部省は、三井不動産株式会社との交渉の結果、戸越の三井文庫の建物を買得し、東洋文庫から史料を移した。昭和26年に戸越の敷地を国が購入し、当館の前身である文部省史料館は創立した。 三井文庫からの史料の移管は、東洋文庫に間借りしていた昭和24年に三井高維蒐集史料(現在の名称は三井高維収集文書)を受け入れたことに始まる。そして史料館発足後の昭和26年から同29年にかけて三井同族会・三井同族各家・合名会社等の文書・記録類、本居文庫・鶚軒文庫・「参考図書」として購入した資料、新町三井家(8代目宗辰・9代目高堅・10代目高遂)をはじめとする同族各家の当主による収集資料が、当館に移された。 昭和40年、「三井文庫」が財団法人として再発足した。これに先立つ昭和39年6月、三井11家代表の三井八郎右衛門(高公)氏と文部省史料館 吉里邦夫館長との間で覚書がとりかわされた。昭和40年10月30日、覚書に沿う形で、当館で保管していた資料のうち、三井同族会・三井同族各家・合名会社等の文書・記録類や都市・経済・商業関係の「参考図書」(三井文庫で事業史編纂などのために収集した図書・史料類)を「三井文庫」に返還した。その結果、「参考図書」6077冊と、表1に示した史料群が、当館に残った。*1953年度と1954年度に旧三井文庫保管のものを譲渡。一部、「聴氷閣収集文書」「三井文庫寄贈図書内文書」を含む。1980年度にも弘化年間の武鑑を古書店より追加購入。
入手源 旧三井文庫保管のものを譲渡。後、古書店より追加購入。
範囲と内容 a. 構 造 「整理の方法」で記すように、現段階では三井文庫資料の構造分析を行い、それに基づいた目録編成をとることはできない。しかしながら、各史料には、三井文庫で行った整理の経過を示す痕跡がいくつか残されている。以下、それらを紹介して、参考に付したい。 一つは、三井家編纂室(明治36年に家史・事業史編纂のために設置された)時代のもので、前表紙と見返しの間に挿入した切り紙に「大正○年○月○日 消毒済」などとあって、購入後に消毒処理をし、配架したことが明らかとなる。また購入時期を記したものに、『増補華夷通商考』(「明治四十五年一月十一日購求」)・『井上家蔵地誌書目』(「明治四十四年九月十八日購求」)、あるいは受け入れた経緯を記したものに『日本古金銀貨大全一目表』(大正二年九月二七日同族会事務局より引継)・『伊勢参宮名所図会』(「大正七年七月二十五日三井源右衛門様寄贈」)などがある。 二つめは、蔵書印である。三井家あるいは三井文庫で押印した蔵書印の数は、当館所蔵分について主なものに限っても25種類におよぶ(口絵・表2参照)。 蔵書印の組み合わせは、「宗辰所集・三井家3」(1104件)がもっとも多く、これにつぐ「ウサギ・しんまちみついけ」(400件)に大きな差をつけている。 三つめは、三井文庫で作成したコレクション史料用の整理札である。三井文庫では、本居宣長・大平の手沢本など約8600点を購入したときに、専用のラベルを貼り、管理していた模様である。このほか、医学博士土肥慶三氏の「顎軒文庫」について、専用のラベルを用いている。 四つめは、下小口にある「ホ印○壱」(『山城名勝誌』)などの下ヶ札である(口絵参照)。下ヶ札にかかれた符号・番号は、目録本文の備考欄に随時、補記したが、その結果をまとめると、「ホ印」の分類番号を与えられたものがもっとも多く91点、ついで「ロ印」「ル印」が4点、「ニ印」が3点、「ヲ印」が2点、「ワ印」「ソ印」が各1点となる。「ホ印」の番号は「ホ壱」から「ホ五百六十四」を確認できるが、当館分はその16%強を占めるにすぎない。 また、この下ヶ札がある史料には、すべて蔵書印「宗辰所集」・三井家3が押されており、新町三井家の収集史料であったものが、ある時期に三井文庫に移管されたものといいえる。 なお、当館で所蔵する「諸礼書」(「へ印」274冊を含む693点)と「山城国京都飛鳥井雅豊日記」(「ツ」印7冊)とに、同様の下ヶ札が貼られている。 五つめは、後ろ表紙にある「昭和 年 月 日寄託」といった小札である(口絵参照)。この小札が貼られた史料には、すべて蔵書印「ウサギ・しんまちみついけ」が押されている。したがって、これらは新町三井家の収集史料で、それらが三井文庫に移された。また後述する三井文庫の主題分類ラベルが貼られていることから、その一部が「参考図書」として管理されていたものと考えられる。 上の4点め・5点めからは、現在、当館で史料群名「諸礼書」「山城国京都飛鳥井雅豊日記」「聴氷閣収集古文書」を付与している資料は、かつては一群をなしていたと推察できる。 六つめは、後ろ表紙に付けられた下ヶ札(たとえば「雑書 十七番」など)で、これらは蔵書印「三井文庫」の押印と重なる。 七つめは、前表紙見返しや後ろ表紙見返しにあるラベルである。このラベルは、三井文庫で「参考図書」に付したもので、独自の主題分類となっている。「三井文庫」では、この分類を踏襲した目録(『三井文庫所蔵参考図書目録抄』)を発刊中である。この「参考図書」目録には欠番が多くみられるが、当然のことながら、当館所蔵の史料はその欠番を補完するという関係にある。 以上、史料に残された痕跡のいくつかを紹介したが、これらの詳細ついては目録本文の「備考」欄を適宜、参考にしていただきたい。 b. 内 容 本目録では、以下の大項目4つを立てて、主題別分類を行った。なお、中項目などについての説明は各項目の解説に譲る。  1.文書・記録 (永仁6年[1298]~昭和3年[1928])  2.名鑑 (寛永21年[1644]~大正9年[1920])  3.地誌 (天平5年[733]~大正3年[1914])  4.その他 (慶長16年[1611]~昭和7年[1932])*「武鑑」は江戸時代の武家の名鑑で、当館所蔵のものでは1643(寛永20)年版「御もんづくし」(二条通・さうしや九兵衛板)が最も古い。それ以降は、御紋づくし・江戸鑑・大成武鑑(出雲寺板)・武鑑(須原屋板)・袖玉武鑑・袖珍武鑑など各種が慶応4年まで278件(566冊)ある。公家に関しては、1667(寛文7)年の「御公家分限帳」が古く、1691(元禄4)年から1865(慶応元)年までの公家要覧・公家当鑑・公家鑑・雲上明鑑・雲上便覧などの各種が37件(57冊)ある。ほかに1868(明治元)年から1885(明治18)年までの「官員録」「職員録」24件(26冊、途中欠あり)、京都府・大阪府・神奈川県の「職員録」、華族関係では1872(明治5)年から1899(明治32)年の名(明)鑑の類がある。 三井文庫寄贈図書内文書本は未整理。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 a. 資料群のなかでの本目録の位置 当館では、三井文庫に入る前の原出所にもとづいて16の史料群に分けて(表1のNo.2~16・22)、史料目録の刊行を継続中である。 また出所の原則に馴染まないと判断したものについては、主題別分類を施して史料群名「諸礼書」(27N)、「紀伊国和歌山本居家旧蔵紀伊続風土記編纂史料」(28J)、「武鑑類」(28N・29H)、「三井文庫寄贈図書内文書」(「090」)を付与して、仮整理を行い、カード目録により検索、閲覧に供してきた。 「参考図書」の大部分については、昭和57年に図書登録して(表紙の見返し部分に「三井家寄贈本」の印と、管理番号を押印)、主題別分類による請求番号を与えて、仮整理を終えたものの、利用を館員のみに限定してきた。 上の状況から、今回、緊急に図書登録した史料の再整理を行った。これは、『国書総目録』(岩波書店、昭和38年~昭和51年)などに部分的に掲載があり、閲覧請求があるためである。整理の対象は、袋綴であるかないかを基準にして、選別・決定した(ただしこの原則から外れる史料もある)。『国書総目録』では、慶応3年(1867)以前に限り掲載するとしているが、慶応3年で区切る根拠は不分明なことから、今回は、史料の造本形態に基準をおいて、史料を選別することにしたのである。これに伴い、カード目録で閲覧に供してきた「武鑑類」と「三井文庫寄贈図書内文書」を整理対象に加えることとなった。 b. 記述について 先述の通り、本目録が対象とする史料については、これまでカード目録によって仮整理・管理が行われてきたが、カードに記した情報は必要最小限のもの(史料名・編著者名・冊数・大きさ・成立年・出版者名)であり、史料として混乱なく、かつ多角的に利用できるようにするためには、項目を補足する必要があった。表3「本目録の記述情報」として、本目録の各記述事項を情報群ごとにまとめたので、参照されたい。 記述は、史料の請求番号を除き、大きく(イ) 史料名情報・(ロ) 成立情報・(ハ) 形態情報・(ニ) 内容情報・(ホ) 管理情報の5つの情報群に分かれる。これらについて若干の説明を付しておく。(イ) 史料名情報 「2) 認定史料名」は、原則として、「8) 題簽に記された情報」からとったが、原題簽がない場合は、整理者による推定史料名となるため、角括弧([ ])を付した。推定史料名は、内題あるいは封面題(封面とは表紙見返し部をいう)、序題・序中題・跋中題・尾題などから採った。 また、写本の場合は、刷り外題であるかないかが原題簽であるないかの判断基準とならないので、表紙の色・文様、料紙の状態から原表紙であるか(「原」と表記)、後表紙であるか(「後」と表記)を判断した。推定史料名には角括弧を付した。なお、表紙の状態については「9) 表紙に関する情報」欄に記した。(ロ) 成立情報 「3) 成立年」は、印刷物の場合は刊記・封面・袋などに記された出版年を採った。しかしながら、印刷物の刊記に出版年を記載するようになるのは享保7年(1722)の出版取締令以後であること、またこれは正規の出版手続きを踏んだものに限られる(たとえば、幕府の禁書に類するものには刊記がない)ことから、刊記の記載がない史料については、序文・例言・跋文などからもっとも遅い年を選んで記入した。さらに、序文などにも成立に関する記述が含まれていない場合は、記事内容の下限を推定成立年とした。 写本の場合は、書写奥書があればもっとも遅い年を選んで成立年とし、書写奥書がない場合は、序文などから年を採るか、記事内容から推定して記入した。(ハ) 形態情報 「4) 大きさ」では、史料の縦横のサイズを採寸した。書誌学では書籍の大きさを大本・中本・小本などと記すことが多いが、これらの用語は慣用的で、その根拠が曖昧であるため、採寸したのである。もっとも史料学的に、たとえば小本をその料紙の使用様式から半紙竪折半裁判と呼称する方法もあり得る。だがいまだ議論が尽くされているとはいえないため、本目録では用語の検討を今後に期することにした。 「7) 印写方法の別」は、文字の料紙への印字様式によって史料を分けたときの類別である。類別は、大きく墨による手書きの写本(請求番号X)と、印刷物(請求番号Y)とに分け、印刷物はさらに、木版=木活字・整板(請求番号Y1)と金属版=銅版・活版(請求番号Y2)とに分けた。 印写方法に注意した理由は、一つに、書籍の生成過程がこれに現れており、史料認識を行う上で重要となるためである。たとえば、写本は非公認の商品として売買されたものか、あるいは限られた範囲で流通したもの、印刷物は概ね公認のもとに商品として出回ったものと考えられる。二つめは、史料保存上、写本と、墨に薬品を添加した印刷物とが、混在していて問題が生じるのではないかと考えたためである。ここで示した3つの請求番号を用いれば、史料は自然と分離されて配架されることになる。 「8) 巻数冊数」には、成立時の合綴や分冊の状態を記し、かつ出納・利用上の混乱を避けるために現状を括弧内に補記した。書籍史料は、一般に成立時の形を留めていないことが多い。改装されて、現状の巻数冊数と成立時のそれとが一致しないなどである。一方、利用者は巻数冊数を史料認識の一つの目安とする。そのため、本目録では、成立時に基準を置いて記述する方法をとった。 「10) 構成」では、書籍の内容構成に関するデータ(題字・凡例・目録・引用書目・図・本文など)を採った。これは、書籍の特徴は丁数を記しただけでは十全ではないためである。序文・跋文の有無は書籍の格式の高下を表わすほか、その執筆者の名前をあげることで成立環境を考える情報は増すことになる。 「14) 備考」では飛び丁・丁の重複・乱丁などに関する情報を記した。とくに名鑑ではこの情報が改定時期の確定に役立つためである。 「6) 紙数」は「14) 備考」に記した飛び丁などに注意した上で、記入した。したがって柱刻にある丁づけと数字が異なる場合がある。(ニ) 内容情報 本目録は、後述するように主題別分類を採用したので、大項目・中項目名によって史料の内容を、ある程度は推察できる。しかしながら、本目録で示した主題別分類は1方法にすぎないため、他の整理法を模索する意味もあり、内容情報の補足として「13) 内容に関するキーワード」を適宜、記入した。(ホ) 管理情報 史料学的にみれば、書籍とその取得者との関係は重要である。そのため、蔵書印がある場合は、「12) 蔵書印記」を採取した。また「14) 備考」に、三井家・三井文庫、それ以前の取得者による保管方法や分類方法を示す痕跡がある場合には、その情報を記入した。 以上のように、本目録の記述事項は14あり、文書を中心とする目録に比べて多くの記述を行うこととなった。これは次の事情による。書籍史料は写本であれ、印刷物であれ、情報複製物であり、相互の関係のなかではじめてその位置づけが可能となる。相互の関係を明らかにするには、史料を照合する作業を不可欠とする。そして史料は基本的に多機関・多組織に分散して所蔵されている。そこで「読む目録」、読むことで史料の現状の大略を知ることができる目録、また史料に遺存経路が残されている場合はそれを把握できる目録記述を目指した。もっとも、目録だけで研究ができるわけではない。現状では、目録から調査・研究の手順を決めることさえできないという状況にある。 また前提として、全体の記述から史料名・成立年認定などの根拠が明らかになるように心がけた。いわゆる経験知によるのではなく、整理者の思考過程を再現できる、つまり反証可能な記述を試みた。 c. 編成について 三井文庫旧蔵資料は、さまざまな所属史料群から引き出されて形成されたコレクション史料である。コレクション史料整理を行う場合、原島陽一氏の「コレクション史料の目録編成」(『史料の整理と管理』所収)にある指摘に留意しておくべきである。以下、引用すれば、「コレクション史料にあっては、各個史料が本来所属していた原出所と、コレクションという2次の出所とがあるが、整理にあたってはこの2つの出所を併存させ、それぞれの配列形態にも配慮する必要がある」となる。しかしながら、原島氏も他の箇所で述べられるように、これは受け入れ機関が調書の作成を周到に行っていて、はじめて可能となる。 三井文庫旧蔵資料は、先述の通り、当館が設立する前後に受け入れられており、受け入れ時の状況を復元することは難しい。たとえば、本目録の大項目「2.名鑑」に入れた史料に残された書き入れや蔵書印は、多様な原出所をもつ史料群の混在を示している。また大項目「3.地誌」「4.その他」にある史料には、一次出所のひとつとして考えられる「本居文庫」本が含まれており、かつては当館所蔵の「紀伊国和歌山本居家旧蔵紀伊続風土記編纂史料」と一群をなしていたといいえる。 また、そもそも「2次の出所」(ここでは三井文庫)での秩序に沿った目録編成を行うには、今回ひとまず整理対象外とした「三井家寄贈本」のなかの洋装本や当館所蔵の史料群、さらに「三井文庫」・東京大学文学部・カルフォルニア大学バークレー校に分散して保存されている史料を、同一の基準をもって精査しなければならない。 つまり現段階では、三井文庫旧蔵資料のごく一部を披見したにすぎず、資料群の構造・機能を反映した目録編成を行うことは不可能である。これに加えて、三井文庫の刊行目録は、基本的には三井家編纂室編の5冊があるのみで(ただし1991年から1999年にかけて「三井文庫」では三井編纂室作成目録を踏襲した史料目録7冊を刊行している)、たとえば目録刊行後の購入にかかる「参考図書」を適切に分類し、整理状況を復元するには、多くの時間を要する。また復元したのちに、そこから収集・整理方針と書籍認識のあり方(たとえば、文書・記録を「参考図書」として把握して整理するような意識)を史料学的な観点から分析することは、整理者の能力を超えている。そのため、今回は早期に目録を公刊することに一応の意味があるとの見解に基づき、主題別分類による目録編成をとることにした。
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 カード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 財団法人三井文庫.カルフォルニア大学バークレー校.東京大学文学部国文学研究室.国立国会図書館.
出版物 藤實久美子「武鑑の書誌学的研究」(『日本歴史』525、1992年)。『三井家記録文書目録』第1巻~第3巻(三井家編纂室、1911・1913年).『三井家編纂室参考書類分類目録』第1・2編(三井家編纂室、1913・1914年).『三井事業史』本編(財団法人三井文庫、1980年).『史料の整理と管理』第2部(岩波書店、1988年).『三井文庫―沿革と利用の手引き―』(財団法人三井文庫編集発行、1988年、1991年改訂).『三井文庫旧蔵江戸版本書目』(ゆまに書房、1990年).『史料館の歩み40年』(当館発行、1991年).「三井文庫所蔵参考図書目録抄」(1)(2)(『三井文庫論叢』第25・26号、1991・1992年).『三井文庫所蔵史料目録』第1号~第7号(財団法人三井文庫、1993~1999年).松本四郎「三井文庫の再建過程について」(『三井文庫論叢』第30号、財団法人三井文庫、1996年).
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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