| 資料記号 |
28P |
| 標題 |
近江国蒲生郡八幡町山形屋西川家文書 |
| 年代 |
1698年~1892年 |
| 主年代 |
近世後期以降 |
| 年代注記 |
1698(元禄11)年-1892(明治25)年、大半は1789(寛政元)年以降。
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| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
12m/941点 |
| 物的状態注記 |
941冊 |
| 出所・作成 |
西川家 |
| 履歴 |
西川家は近江八幡を本拠に、近世初期から江戸日本橋通町において、主として畳表・蚊帳などの販売を行なった家であり、その活動は、現在、寝具・室内装飾品などの製造加工販売を行なう西川産業株式会社へと発展した。西川家初代は近江国蒲生郡南津田村出身とされ、俗名を仁右衛門といい、1585(天正13)年、安土城下の移転に伴う豊臣秀次の近江八幡城下の建設に際して同町に移住したという。海産物や奈良蚊帳などの品物を扱う北陸と畿内とののこぎり商いを手はじめに、次第に美濃・尾張への畳表の行商を開始し、その範囲をさらに三河・遠州へと拡大し、1615(元和元)年には江戸日本橋に借宅するに至る。その後、子息らが支店を出し、さらに活動を拡大した。支店には江戸の■(□の中に∴、つまみ)店、■(□の中に万、かくまん)店、松店、下総の佐原店、京都店などがある。また、扱い品目も畳表など畳関係の品物、弓関係、乗物関係、蚊帳関係、荒物雑貨など多岐にわたっていった。1813(文化10)年には江戸□万店が幕府の御畳蔵小買物御用請負の権利を取得、1833(天保4)年には近江屋作兵衛名義で御本丸直納御用を請け負う御用弓師となり、帯刀御免となった。御用弓の運送には道中先触をもって御定め賃銭による通行を許可された。明治期には経営の再編に努め、1876(明治9)年大阪に青筵買付けのための支店を開設し、1886(明治19)年には備後表買付けのために尾道支店を、ついで琉球表の産地である大分と杵築にそれぞれ支店を設けた。また、八幡町には蚊帳製造工場を新設し、織り機50台を導入した。なお、寝具を扱う時期は1887年頃からである。
(関係地)近江国蒲生郡八幡町‐滋賀県近江八幡市八幡町[現在] (主題)商人;御弓師 (役職等)商人;御弓師
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| 伝来 |
1953年度、故紙業者より購入。 |
| 入手源 |
故紙業者 |
| 範囲と内容 |
当館が所蔵する文書は、西川家に伝来した文書の一部であり、文書群の全体像は同家に伝存する文書群と併せて検討することが必要であるが、文書群は店組織、その機能・性格から概ね(1)本店関係文書、(2)支店関係文書からなる。支店関係文書には江戸日本橋の■(□の中に∴、つまみ)店(近江屋作兵衛)、同じく日本橋の■(□の中に万、かくまん)店(近江屋久右衛門)、南店・堀留支店、京店(山形屋甚五郎)、大坂店などの文書が見られ、それらの中心は3支店から本店へ報告された盆暮2期の決算簿「勘定目録帳」である。年代的には大半が1789(寛政元)年以降であり、これ以前の帳簿は整理のうえ廃棄したことが考えられる。本店関係の文書群は本店の経営そのものと、支店を含めた経営に関する文書からなる。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
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| 使用言語 |
JAPANESE |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
『史料館所蔵史料目録』第30集(1979年) |
| 原本の所在 |
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| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
近江八幡市に西川本宅所蔵文書があり、1993年より財団法人西川文化財団によって管理される。当館ではその一部をマイクロ収集した(F7001)。
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| 出版物 |
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| 注記 |
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| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1953016 |