【美濃国多芸郡志津村高木家文書】
識別記号 ac1954010
資料記号 29J
標題 美濃国多芸郡志津村高木家文書
年代 1676年~1919年
主年代
年代注記 1676(延宝4)年-1919(大正8)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 4m/1162点
物的状態注記 1162件
出所・作成 高木家
履歴 高木家は、近世志津村の五人組頭・名主を勤めた家である。1769(明和6)年の村方騒動の翌年、高木九平次が五人組頭に就任する(仮番号28)ことにより、高木家の村役人としての歴史が始まったものと思われる。それ以前のことはあまりはっきりせず、文内という者が18世紀前半の当主であった可能性がある(仮番号378)ことがわかる程度である。 五人組頭のあとは1775(安永4)年に名主に就任したことが確認でき(仮番号386)、19世紀にはかなり継続的に名主を勤めているようである。当主名は、九平次もしくは一郎右衛門という。また、志津村が御影石の産地であったことと関係して、この高木家は1822(文政5)年以降幕末まで名主附けの役職として石問屋を勤めていた。 近代に入ると、志津村の戸長を勤めた。また明治初年には問津学校の取締役でもあった。1889(明治22)年以降は下多度村の志津区長として活動しているほか、土地整理地持惣代でもあった。明治期の戸長・区長名として先の九平次・一郎右衛門のほか義房・義利・信平・肇・四郎八といった高木姓の者が挙げられるが、その系譜関係は不明である。
(関係地)美濃国多芸郡志津村‐岐阜県多芸郡志津村‐岐阜県多芸郡下多度村大字志津‐岐阜県海津郡南濃町大字志津[現在]
(主題)名主‐戸長‐区長
(役職等)名主‐戸長‐区長
伝来 1954年度に故紙業者より購入。「大沢氏蒐集史料」の内。
入手源 故紙業者
範囲と内容 本文書群は、(1)名主、(2)戸長役場・区長、(3)家の3つに分けられる。(1)は、五人組頭就任の1770(明和7)年以降の文書が圧倒的に多い。 「諸御願控并田畑売渡并借用金証文帳」など27冊を中心として、村明細帳ほか、用水池としての下池に関する一連の史料など、多様な村方史料がある。特に名主役をめぐる争論史料は文書引継問題もからんで興味深い。さらに、石問屋を勤めていたことに関わって、石問屋の就任・退役に関する史料のほか、割石運上についての史料、「割石願」などがある。 (2)では、地租改正関係の一連の史料などのほか、取締役を勤めた学校関係の史料もある。さらに「兇徒一件諸願」を始めとする1876(明治9)年の伊勢の地租改正反対一揆関係の史料3点が目を惹く。(3)は、分家や相続関係の史料、祝儀不祝儀関係の帳簿や金銭出納帳、書状などである。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 カード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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