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奥村家が居した妙感寺村は、近世前期は幕府領であったが、元禄期に旗本内藤領となる。旗本名には、内藤十次郎・三十郎などの名前が見える。同氏の近江での所領は、いずれも甲賀郡にあり、妙感寺・菩提寺・酒人・大野・柑子・下馬杉・上馬杉・上磯尾・下磯尾・深川市場・野尻村の11か村である。これらの村々は、江戸に在住する旗本との連絡などのために1つの組合をなし、年番庄屋を置いた。その機能は割元庄屋・大庄屋の機能に近いものと思われ、年貢の徴収、訴願の取次なども行っている。奥村家は、近世後期から庄屋役を代々勤め、時に年番庄屋に就任した。1792(寛政4)年には、庄屋奥村安兵衛から子紋四郎への庄屋交代願も見られる。ただし、同家の系譜や経済状況などについては不明である。
(関係地)近江国甲賀郡妙感寺村‐滋賀県甲賀郡甲西町三雲[現在] (主題)庄屋‐年番年寄‐年番庄屋 (役職等)庄屋‐年番年寄‐年番庄屋
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