【美濃国石津郡市之瀬村三宅家・桑原家文書】
識別記号 ac1955006
資料記号 30F
標題 美濃国石津郡市之瀬村三宅家・桑原家文書
年代 1662年~1911年
主年代
年代注記 1662(寛文2)年-1911(明治44)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 11m/1563点
物的状態注記 1563点(1147冊、323通、73綴、2括、17枚、1鋪)
出所・作成 三宅家・桑原家
履歴 (1)桑原家は、大坂の陣の時、のちの名古屋藩家老石河家の当時の当主市正に従軍したという由緒を持ち、近世初期より庄屋に相当する地位にいたと推定される。桑原姓の者は史料の作成者として同時代に複数あらわれるため、桑原家の各系統を確定することはできないが、18世紀後半に経営文書の作成者として登場する桑原太兵衛が、1609(慶長14)年検地帳(当館マイクロ収集F7008)の案内人太兵衛、および1681(延宝9)年の庄屋太兵衛の直系の子孫である可能性がある。1861(文久元)年の史料(仮番号674)に「本家桑原太兵衛」とあるので、太兵衛家が本家の系統なのであろうか。桑原家には少なくとももう1系統あり、18世紀後半には万蔵という当主であった。19世紀前半には、相役の庄屋として応助と孫右衛門がいるが、いずれも太兵衛家の系統ではないようである。明治期には六郎が戸長として、孫太郎が副戸長として登場するが、系譜関係は未解明である。 (2)三宅家は、19世紀前半の当主を周助といい「当番庄屋」を勤めていたことは確かである。幕末には、丈助・嘉右衛門・石三郎・忠兵衛・忠太といった名が史料から拾え、明治初年には、伊右衛門が戸長・副戸長に就任しているが、桑原家同様その系譜関係は不明である。 (3)村瀬家(方縣郡中西郷村)については、天保期の当主を七右衛門ということ以外はわからない。
(関係地)美濃国石津郡市之瀬村‐笠松県‐岐阜県石津郡市之瀬村‐岐阜県上石津郡一之瀬村‐岐阜県養老郡一之瀬村‐岐阜県養老郡上石津町大字一之瀬[現在]
(主題)庄屋;地主・商人
(役職等)庄屋;地主・商人
伝来 1955年度に故紙業者より購入。
入手源 故紙業者。
範囲と内容 本文書群は、少なくとも3つの出所の文書群が混在している可能性が高いが、桑原家・三宅家・村瀬家の3つに分けて、構造と内容を説明することは、現段階では不可能である。よって、(1)近世庄屋文書、(2)近代戸長役場・村役場文書、(3)経営文書、という順に説明する。 (1)まとまって残存しているのは、1674-1873(延宝2-明治6)年の「免定」、1662-1869(寛文2-明治2)年の「物成勘定目録」、1760-1871(宝暦10-明治4)年の「物成勘定引払帳」22冊、1770-1870(明和7-明治3)年の村入用関係帳簿35冊などである。そのほか、助郷、山論など多様な庄屋としての史料がある。 (2)「用水費地主持分賦課徴収簿」1887-1893(明治20-明治26)年17冊など、水利関係史料が目だつほか、地租改正関係の一連の帳簿もある。 (3)まとまったものとしては、「金銀出入払方勘定帳」が1833-1892(天保4-明治25)年にかけて43冊あり、「田畑掟米小作年貢納帳」をはじめとする地主経営帳簿が約50冊、「大吉万福帳」が1837-1857(天保8-安政4)年まで21冊ある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 史料仮目録B
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 本家桑原家文書の一部をマイクロフィルムで収集している(F7008参照)
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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