識別記号 | ac1955008 |
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資料記号 | 30H |
標題 | 信濃国佐久郡御馬寄村町田家文書||MACHIDA family papers and collections, Mimayose village, Saku district, the province of Shinano |
年代 | 1614年~1911年 |
主年代 | 江戸 |
年代注記 | 1614(慶長19)年-1911(明治44)年 |
記述レベル | collection |
書架延長/数量 | 7m/1586点 |
物的状態注記 | 1586点(内訳844通、593冊、126綴、19枚、3袋、1鋪)及び40括。 |
出所・作成 | 町田家 |
履歴 | 町田家は御馬寄村の名主であった。同村は千曲川左岸段丘斜面に位置する。村高は、角川地名辞典によると、「正保書上」「元禄御帳」では404石、「延享高書」612石余、『旧高旧領取調帳』642石余。1752(宝暦2)年の家数65、1760(宝暦10)年人数519(男264・女250・出家2・山伏2・医師1)。毎月一と六の日に市がたち商人が多く、小諸藩の千曲川左岸にあたる川西領(現立科町・望月町・浅科村)の穀物相場はこの市で決まったという。藩内の米穀販売に便利な地としてにぎわった。明治期には、養蚕業が盛んとなり郡内有数の養蚕地となった。しかし、養蚕業は昭和期には衰退した。 (関係地)信濃国佐久郡御馬寄村‐伊那県佐久郡御馬寄村‐中野県佐久郡御馬寄村‐小諸県佐久郡御馬寄村‐長野県佐久郡御馬寄村‐長野県北佐久郡御馬寄村‐長野県北佐久郡中津村御馬寄‐長野県北佐久郡浅科村御馬寄[現在] (主題)小諸藩領 (役職等)名主、組頭 |
伝来 | 1955年に原蔵者より譲渡 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | 町田家文書は大別して、(1)領主関係文書と(2)名主としての村政文書と(3)町田家の私文書の3種類がある。代表的な文書を例示しながら簡単に紹介してみよう。(1)領主関係文書では、1596-1614年(慶長年間)千石秀久の立科山麓の荒地回復策、1614(慶長19)年「出陣御下知之写」のほかに「西丸記録」(千石越前守より牧野遠江守宛)6点。(2)村政関係文書では開発に関するものが、1593-1646(文禄2-正保3)年「立科山麓新田証文(写)」があり、検地帳類が揃っている。すなわち1668(寛文8)年「小諸御城主酒井日向守様御縄入出役」、1670(寛文10)年「信州佐久郡御馬寄村本田畑御縄打帳」「古新田畑御縄打帳」等。このほか八郡村の1709(宝永6)年、1778(安永7)年の検地帳もある。支配触書は、「御触書之写」が1747(延享4)年から1843(天保14)年にかけて存在している。戸口・人口史料としては1654(承応3)年の「人別帳」、1705(宝永2)年の「欠落百姓跡引請証文」、1723(享保8)年の「人別増減帳」、「佐久郡御馬寄村宗旨御改帳」等がある。このほか注目すべきものとしては、1815(文化12)年の「久離御帳外人并他参奉公人書上帳」、1841(天保12)年の「人別調帳」がある。村況としては1682(天和2)年・1702(元禄15)年の「御馬寄村指出し帳」、1844(天保15)年「明細調帳」がある。村役人に関しては、1802(享和2)年「村役勤書上、十八カ村分」がある。五人組帳は、1736(享保21)年・1783(天明3)年の2冊が存在する。「御用留」に関しては、1805(文化2)年以降のものがある。年貢関係では1768(明和5)年「申ノ五分一金納割附帳本町」、1776(安永5)年・1784(天明4)年の割付帳がある。皆済目録は、1821-1871(文政4-明治4)年に断続的だが存在している。このほか、御普請、旱損・不作、村方出入、鉄砲証文、入用夫銭、助郷・交通、金銭貸借、社寺、明治期の戸籍、地租改正等多数存在する。(3)町田家の私文書としては家相続については、1743(寛保3)年「万年代記帳」、1784(天明4)年「諸士年数并先祖改帳」、1809(文化6)年「先祖代々名前書上」がある。このほか祝儀帳や香典帳もある。道中日記は1786(天明6)年「妙義・榛名・日光・鹿嶋道中覚帳」、1797(寛政9)年「伊勢代参帳」等。経営関係としては地主小作については、1836(天保7)年「地主一同引方取極帳」、1864(元治1)年「子田畑小作差引帳」、1865(慶応元)年「当丑小作差引帳」がある。生糸・製糸関係では、1866(慶応2)年「生糸売捌取締書」、1887(明治20)年「製糸荷造番号帳」等のほか4冊存在する。以上のほか注目されるものとして周辺村落はじめ他村の文書が含まれていることである。1691(元禄4)年「五郎兵衛新田改帳」、1693(元禄6)年「信州佐久郡八郡酉年新田畑改帳」、1703(元禄16)年「信州佐久郡平塚村指出し」、1726(享保11)年「御知行所高野町明細帳」、1744(延享元)年「佐久郡大日向村明細書上」、1805(文化2)年「甲斐国山梨郡西高橋村川除定式御普請出来形帳」(6冊)、年未詳「下塚原丑年皆済目録」等がある。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | 仮整理。一部分類されている。 |
利用条件 | |
使用条件 | 写真撮影のみ。 |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | 原蔵者が謄写本22冊を作成し、五郎兵衛記念館(長野県浅科村)に複製を寄付。 |
関連資料 | 御馬寄区有文書が五郎兵衛記念館にある。 |
出版物 | 『信濃史料』『北佐久郡志』ほか |
注記 | 『史料総覧』の通し番号は175。『史料総覧』執筆担当:森安彦。謄写本は「御馬寄村町田森太・良一家文書(稿本)」の名で五郎兵衛記念館に収蔵され、史料館収蔵の町田家文書以外の文書の筆者を含む。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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