【武蔵国多摩郡連光寺村富沢家文書】
識別記号 ac1955010
資料記号 30J
標題 武蔵国多摩郡連光寺村富沢家文書
年代 1598年~1905年
主年代 江戸後
年代注記 1598(慶長3)年-1905(明治38)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 32m/9715点
物的状態注記 9715点(5501通、3945冊、96綴、173鋪)及び2箱・小箱6個
出所・作成 富沢家
履歴 富沢家は、永禄年間に帰農し連光寺村に居住するようになったと伝えられる。家譜によれば、畠山重忠13代の孫為政が富沢姓を初めて称して今川義元に属し、その滅亡後にこの地に定住したという。1598(慶長3)年の検地で修理忠岐が案内を勤め、以来代々連光寺村の名主役を世襲して幕末に至り、耕地所有規模は常に村内最大を維持し続けている。1675(延宝3)年、市郎兵衛の次男が分家を創設した(当館収蔵「富沢分家文書」32N参照)。 1879(明治12)年、富沢政恕が神奈川県会議員に選ばれた。1882(明治15)年、連光寺村が宮内省御猟場となったため、富沢政恕は宮内省御用掛を勤務している。
(関係地)武蔵国多摩郡連光寺村‐神奈川県多摩郡連光寺村‐南多摩郡連光寺村‐多摩村連光寺‐東京府南多摩郡多摩村大字連光寺‐東京都南多摩郡多摩町大字連光寺‐東京都多摩市連光寺[現在]
(主題)名主|旗本賄名主|大惣代|神奈川県会議員
(役職等)名主|旗本賄名主|大惣代|神奈川県会議員
伝来 1955年度に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者
範囲と内容 富沢家文書は、(1)連光寺村関係史料、(2)組合村関係史料、(3)地租改正関係史料、(4)家史料のまとまりからなる。なお、連光寺村戸長役場時代には、富沢家は県会議員を勤めていたために戸長文書は含まれていない。(1)は寛永期以降、旗本天野氏の知行であった関係から、旗本財政の困窮化に伴う年貢先納・御用金・地頭暮方仕法・商人賄・村方賄について多くを含んでおり、旗本財政・家計と村方の関係を知り得る。土地関係も、1606(慶長11)年「新田新畑改帳」を上限として数量が多い。連光寺村を山元村とした入会の林野に関する史料には注目すべきものがある。年貢関係史料は極めてよく残存しており、「年貢割付状」は1623(元和9)年以降明治に至るまでほとんど揃っている。村政では村方出入に関するものが多く、地頭賄の御用金、先納金の調達納入に関わって、村名主と地頭賄名主の名主役争一件史料がある。(2)は幕末期に関東御取締改革組合の大惣代を富沢家が勤めた関係での史料である。組合村の大惣代としての文書には、御取締改革組合の管掌範囲や機能を知り得る史料がまとまっている。(3)は明治維新後に地租改正係を勤めたことに関わる史料である。他に(4)家文書には、1845(弘化2)年-明治中期にわたる家計帳簿「金銀受払留帳」「金銀出入書留帳」(77冊)が揃っている。なお、宮内省御猟場に関する明治から大正期の史料は原蔵の富沢家の元で保存されている。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件 一部に虫損もみられ、一部火災による損傷あり。譲渡前に原形を変えて表紙を取り外したり、綴を解体したものがある。
検索手段 『史料館所蔵史料目録』第6集(1957年);第6集の表記は「武州多摩郡連光寺村富沢家文書」となっている。
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 富沢家文書(所在地多摩市、多摩市教育委員会の調査による)があり、その一部はマイクロ撮影で収集している(「武蔵国多摩郡連光寺村富沢家文書」30J)。宮内省御猟場に関する明治から大正期の史料は原蔵の富沢家で保管されている。なお、富沢家の分家の文書も当館所蔵となっている(「武蔵国多摩郡連光寺村富沢分家文書」32N)。
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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