識別記号 | ac1956012 |
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資料記号 | 31L |
標題 | 紀伊国牟婁郡新宮町水野家文書||MIZUNO family papers, Shingu town, Muro district, the province of Ki-i |
年代 | 1583年~1868年 |
主年代 | 江戸前 |
年代注記 | 1583(天正11)年-1868(明治元)年。 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | .2m/47点 |
物的状態注記 | 47点(22通、24折、1綴) |
出所・作成 | 水野家 |
履歴 | 1600(慶長5)年、浅野幸長の家老浅野忠吉が新宮2万8000石の領主となるが、1619(元和5)年忠吉が備後国三原に転じた後、徳川頼宣の付家老水野重仲が新宮城主となり、以後代々水野氏が居城、1868(慶応4)年10代忠幹の時に新宮藩として立藩する。初代重仲(はじめ重信・重央)は1570(元亀元)年尾張に生まれ、1576(天正4)年に家康に謁見し、のち御側に勤仕し5500石を知行する。1588(天正16)大番頭となり、1592(文禄元)年武蔵国埼玉上総国山辺2郡で1500石を加増され、1601(慶長6)年従五位下対馬守に叙せられる。1608(慶長13)年には徳川頼宣の付家老となり、常陸国水戸において1万石を領する。1609(慶長14)年に頼宣が駿河遠江に移るに伴って遠江国浜松城主となり、2万5000石余を領することになる。さらに1617(元和3)年駿河遠江で1万石加増され、合計3万5000石余を領した。 (関係地)1.紀伊国牟婁郡新宮町‐和歌山県新宮市新宮[現在]|2.遠江国敷知郡浜松‐静岡県浜松市[現在] (主題)紀伊徳川家家老 (役職等)紀伊徳川家家老 |
伝来 | 1956年に古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | 本文書群は(1)初代重仲の代を中心とする水野家文書(大半は写)、(2)他家文書とで構成される。(1)は水野家の歴史で記した1592(文禄元)年以降の知行の変遷に対応する朱印状や知行目録写、頼宣からの御内書写のほか、1667(寛文7)年から1713(正徳3)年までの新宮城普請についての老中連署奉書写などがある。また年欠ではあるが御朱印状や奉書などの目録もある。(2)紀伊徳川家家臣の鈴木氏系図、岩代国館ケ岡村五十嵐氏書簡綴があるが、本文書群に混在する理由は未詳である。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 史料仮目録B |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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