| 資料記号 |
32P |
| 標題 |
武蔵国多摩郡寺方村佐伯家文書 |
| 年代 |
1594年~1890年 |
| 主年代 |
江戸後 |
| 年代注記 |
1594(文禄3)年-1890(明治23)年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
3m/897点 |
| 物的状態注記 |
897点(726冊、170通、1鋪) |
| 出所・作成 |
佐伯家 |
| 履歴 |
佐伯家は寺方村の名主を勤めた家柄で、元禄期から安永期にかけて善右衛門を名乗り、その後は善治−善次郎−善右衛門−善九郎、幕末から明治初期に善四郎とあり、善四郎の子は喜太郎であった。なお、寺方村は相給村であり、『角川地名辞典』によれば、1590(天正18)年より北条氏照の旧臣山角氏知行地が幕末まで及び、1637(寛永14)年に新開地が幕府領となり、その幕府領の一部が1690(元禄3)年に松平清三郎知行となった後、化政期に幕府領すべてが旗本曽我氏・浅井氏の知行となって幕末に至るとある。しかし、史料では元禄期頃より曽我氏と浅井氏も領地を得ている。佐伯家の由緒・系譜については不明であるが、1704(宝永元)年には曽我氏知行分の名主としてあらわれ、以降も曽我氏知行分の名主役を勤めると共に、浅井氏知行分にも名主としてあらわれる。但し、享保期には曽我氏知行分名主利右衛門の名もみえ、相給の旗本ごとに名主が決められていたかは定かでない。1869(明治2)年「寺方村名寄帳」(仮番号5)では、山角氏分を上組、曽我氏分を中組、浅井氏分を下組とし、曽我七兵衛上知中組名主善四郎となっている。明治期の当主善四郎は1881(明治14)年「地券状相渡帳」(仮番号152
)で筆生とあるが、他の役職については明らかではない。1870(明治3)年の佐伯家の状況は、家族8人、田3反6畝11歩・畑田6反5畝22歩・山2か所・馬1疋である。
(関係地)武蔵国多摩郡寺方村‐神奈川県多摩郡寺方村‐第八区九番組寺方村‐南多摩郡東寺方村‐多摩村大字東寺方‐東京府南多摩郡多摩村大字東寺方‐東京都南多摩郡多摩町大字東寺方‐多摩市東寺方[現在] (主題)名主 (役職等)名主
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| 伝来 |
1957年度に原蔵者より譲渡。 |
| 入手源 |
原蔵者 |
| 範囲と内容 |
佐伯家文書は、ほとんどが名主文書であり、佐伯家の家政に関する史料はほとんど見られない。名主文書は、寺方村分として1637(寛永14)年「名寄帳」を上限に年貢関係の諸帳簿、宗門人別帳、御用留・御触書帳など近世中期以降よく残っている。相給を合わせた文書としては、用水普請に関する史料、堰をめぐる出入や水論に関するもの、日野宿伝馬に関する史料である。また、地頭所への御用金関係など、領主に関する史料も含まれる。明治初期の史料は、達・触書、村明細帳、人別帳、人別送状など比較的まとまっている。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
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| 使用言語 |
Japanese |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
仮目録(昭和32年度)・カード目録;『南多摩文化財総合調査報告』(東京都教育委員会、1961年)に当館作成のカード目録が掲載されている。
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| 原本の所在 |
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| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
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| 出版物 |
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| 注記 |
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| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1957016 |