【武蔵国多摩郡和田村石坂家文書||ISHIZAKA family papers and collections of Wada village, Tama district, the province of Musashi】
識別記号 ac1957022
資料記号 32V
標題 武蔵国多摩郡和田村石坂家文書||ISHIZAKA family papers and collections of Wada village, Tama district, the province of Musashi
年代 1637年~1895年
主年代 江戸後
年代注記 1637(寛永14)年-1895(明治28)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 8m/1590点
物的状態注記 1590点(1095冊、487通、6綴、1鋪、1巻、1括)及び大木箱1基
出所・作成 石坂家
履歴 石坂家が居住した和田村は、『武蔵田園簿』では幕府領(高96石余)と旗本領の山中氏知行(高 264石余)と山角氏知行(高68石余)となっており、1653(承応2)年に山中氏知行分が幕府領となった。寛文年間、和田村は中和田村(幕府領から浅井氏知行へ、高99石余)と上ケ久和田村(後に上和田村、幕府領から和田氏知行へ、元禄期高 272石余)に分村し、山角氏知行分のみの村高となって幕末に及ぶ。このような分村の経緯からか、各村の名主を特定しにくいが、石坂家が宝暦期以降名主役を務めていたことは確かである。当主名は、茂兵衛−杢右衛門−戸一郎とみえ、近世中期以降幕末までの間に名主の肩書と共に、1758(宝暦8)年に年番名主、1824(文政7)年に当番名主、1831(天保2)年には組頭ともみえる。石坂という姓は、1838(天保9)年には用いられており、1863(文久3)年に杢右衛門孫の戸一郎が石坂と名乗ることを許され、「苗字帯刀御免并一人扶持供頭」となっている(仮番号43)。明治期になって、年番名主、名主年番組頭役人、1873(明治6)年副戸長、1876(明治9)年村用掛、1879(明治12)年に戸長に就任している。
(関係地)武蔵国多摩郡和田村‐神奈川県多摩郡和田村‐第八区七番組和田村‐南多摩郡和田村‐多摩村大字和田‐東京府南多摩郡多摩村大字和田‐東京都南多摩郡多摩町大字和田‐多摩市和田[現在]
(主題)名主|年番名主|組頭|副戸長|村用掛|戸長|八王子千人同心
(役職等)名主|年番名主|組頭|副戸長|村用掛|戸長
伝来 1957年度に原蔵者より譲渡。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書は、(1)近世和田村の村方文書、(2)戸長文書、(3)石坂家の家政史料に大きく別れる。(1)と(2)は全体をほぼ二分し、内容・量ともに充実している。(1)村方文書は、近世初期の村況を知りうる1637(寛永14)年「御検地水帳」、同年「名寄帳」の他、享保期以降幕末までの「田畑皆済目録帳」(42冊)、「田方年貢勘定帳」(38冊)、「畑方年貢勘定帳」(32冊)、加えて「村入用帳」は1760-1873(宝暦10-明治6)年分が92冊存在し、「宗門人別帳」(19冊)、「五人組帳」も整っている。また、旗本財政の窮乏に伴う証文類や文政期の改革組合村関係が残っている。村方文書が基本的に揃っているが、近世後期が大半である。(2)には、1876-1883(明治9-明治16)年「諸進達書扣簿」(25冊)があり、布達、村費、地租改正、農会、村議会関係および寺院関係などの綴りがまとまっている。(3)家史料は、冠婚葬祭、ならびに所有地、農業経営があり、家計・諸入用・金融に関わる文政期以降の「金銀出入帳」(43冊)、「〆出シ覚帳」(42冊)、「金銀貸方帳」(28冊)、「大福帳」(6冊)等が中心である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 大木箱1基分は、未整理のため閲覧できない。EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件 虫損の簿冊・綴が多い。
検索手段 『史料目録』第98集(2014年)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記 これまでの文書群名は「武蔵国多摩郡中和田村石坂家文書」『八王子千人同心関係資料集』(八王子市教育委員会、1985年)『八王子千人同心史』(通史偏、資料編?T・?U、1985年)、村上直編『八王子千人同心資料』(??、1987年)
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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