| 履歴 |
筑摩県は1871(明治4)年11月から1876(明治9)年8月までの間の県名。現在の長野県および岐阜県にまたがって置かれた。筑摩郡松本の旧松本藩庁舎を県庁舎とし、その管下は信濃国中部以南のいわゆる南信一帯から飛騨国一円にわたっている。すなわち筑摩県は、信濃国4郡(筑摩・伊那・諏訪・安曇)と飛騨国全域を所管した。1876年6月、県庁舎焼失の災を被り、同年8月飛騨国を分離して岐阜県所管とし、同時に所管の信濃4郡を長野県に編入し、筑摩県は消滅した。本布達類は、その記載からみると、信濃国諏訪郡豊田村戸長平林信休家のものではなかったかと推定されるが、確証がないので出所は未詳とした。
(関係地)信濃国諏訪郡豊田村‐長野県諏訪市大字豊田[現在]
|