【備前国磐梨郡大内村文書(伊藤為之助収集文書のうち)】
識別記号 ac1958023.02
資料記号 33W 37S(2)
標題 備前国磐梨郡大内村文書(伊藤為之助収集文書のうち)
年代 1708年~1766年
主年代 江戸中
年代注記
記述レベル collection
書架延長/数量 23m/4点
物的状態注記 4冊
出所・作成 大内村;伊藤為之助。
履歴 大内村は、吉井川中流域右岸に位置し、宇喜多氏、小早川氏領を経て、慶長8年(1603)岡山藩領となる。村高は「領分郷村高辻帳」386石、「天保郷帳」502石余、「旧高旧領取調帳」452石余である。文禄期には、吉井村との間に境争論のあったことが知られる。また、「備陽記」によれば、村高386石、反別43町8反余、家数103、人数733、枝村に鵜居を記す。「吉備温故秘録」に鵜居は「古は、別の一村なりしに、洪水にて田畑減少後、大内に属す」とある。村の東部を吉井川が流れ、和気郡と画す。村内には刀工がいたとの伝承があり、字鍛冶屋付近には鉄滓が散布している(「瀬戸町史」)。明治8年(1875)、吉井川の流路の変化により、大内村と接続していた坂根村の宇治地域を編入。氏神は、八幡社と諏訪大明神で、八幡宮は備前国式内外社128社の1社で、村内のうち鍛冶屋・中村・正木・内山・箕ヶ市地区を氏子とし、明治3年(1870)、旧号の紫狭神社に復した。諏訪大明神は村内の鵜居地区を氏子とし、明治以後諏訪神社となる。この他、氏子を持たない明現社があり、村では作神様として雨乞いをする伝承が残り、明治期以後天津社と改称。宇治地区の氏神は荒神社である。明治4年(1871)岡山県所属。明治20年頃には、吉井川と関係の深い高瀬舟等の営業と漁業従事者が増加した。同22年(1889)、潟瀬村の大字となる。昭和30年(1955)から瀬戸町の大字となり現在に至る。
(関係地)備前国磐梨郡大内村‐岡山県磐梨郡潟瀬村大内‐岡山県赤磐郡瀬戸町大内
伝来 1958・1962年度に古書店より購入。
入手源 古書店。
範囲と内容 伊藤為之助収集文書のうち、仮番号102〜105の史料群。大内村の新開改帳や検地帳である。次の4つのアイテムから構成される。(1)宝永5年(1708)「備前国磐梨郡大内村開方改帳」(2)享保2年(1717)「備前国磐梨郡大内村開方発返シ改帳」(3)享保10年(1725)「備前国磐梨郡大内村新開御検地帳」(4)明和3年(1766)「備前国磐梨郡大内村樋改帳(樋方)」
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 仮整理・未整理
利用条件 未整理分については閲覧できない。
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 カード目録(ただし、仮整理済分のみ)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 伊藤為之助収集文書(fond)の記述を参照。
出版物
注記 これまでの文書群名は「伊藤為之助蒐集史料」。仮番号102〜105。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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