【出羽国村山郡観音寺村岡田家文書||OKADA family papers and collections of Kannonji village, Murayama district, the province of Dewa】
識別記号 ac1959007
資料記号 34G
標題 出羽国村山郡観音寺村岡田家文書||OKADA family papers and collections of Kannonji village, Murayama district, the province of Dewa
年代 1670年~1885年
主年代 江戸後
年代注記 1807(文化4)年-1885(明治18)年、ただし蟹沢村のものは1712(正徳2)年-1841(天保12)年のほか、1660・1670年代(寛文・延宝期)以前と推測されているものがある。
記述レベル collection
書架延長/数量 .2m/98点
物的状態注記 98点;数量の内訳(史料仮目録Bによる)6冊、76通、1綴、15舗。
出所・作成 岡田家
履歴 この文書群は、観音寺村岡田家文書といわれてきたが、主として近世の村方文書と近代の戸長役場文書が複合したものであると見られる。観音寺村は、山形県乱川の扇状地の扇頂部に位置する農村である。村名は古代に観音寺があったことに由来する。『旧高旧領取調帳』では1424石の村高で田畑相半ばしている。近世では、最初、最上氏領、次いで山形藩領、下野宇都宮藩領、1742(寛保2)年からは幕領となり、1856(安政3)年からは松前藩領となって廃藩置県に至る。山形藩が任命した大庄屋制度では、猪野沢組に属する。戸口は1692(元禄5)年の107 軒730人が近世後期には漸増し、1849(嘉永2)年、197 軒・1080人となった。1889(明治22)年、市制町村制施行により3か村と合併して高崎村となり、観音寺村に村役場を置いた。 岡田家は、幕末に名主役を勤め、明治維新後、観音寺村外三箇村戸長を勤めていたことは、この文書群の下限である1885(明治18)年時点で確認されるが詳らかでない。また、当館の記録にはこの文書が岡田家の出所を実証するものは残っていない。 なお、この文書群には蟹沢村の文書が混入しているようである。同村は、現在、東根市内で乱川扇状地の扇端部にあり、近世では高木組に属していた。
(関係地)出羽国村山郡観音寺村‐羽前国村山郡観音寺村‐館県‐ 山形県村山郡観音寺村‐山形県北村山郡観音寺村‐山形県北村山郡高崎村大字観音寺村‐‐山形県北村山郡東根市大字観音寺[現在]
(主題)名主|戸長
(役職等)名主|戸長
伝来 観音寺村名主岡田家に伝存していていたものか、或いはその後身である観音寺村外3か村戸長役場に継承されたものが、村外に流出した経緯と思われる。史料館では、1959年度に古書店より購入。
入手源 古書店(古屋幸太郎)
範囲と内容 観音寺村文書は主として近世の名主事務の執行に伴い授受作成されたものと思われ、これに近代の戸長役場文書が加わっている。この中には、岡田家の家政にかかると思われる若干のものが含まれている。ただし、いずれも体系的に伝存したものではなく、残存に一定の特色があるわけではない。ほかに出所不明の蟹沢村文書が加わる。それぞれ例示すれば次の通り。 (1)近世の観音寺村のうち、a,人別関係では「家数人別増減仕訳書上帳」など、b,貢租関係では「皆済目録」、c,借用金無尽では借用証文など(ただし、岡田家の家政文書であるかもしれない)、d,村絵図、e,その他では「万手控日記帳」(久右衛門)がある。(2)近代の観音寺村に関するものでは、主として戸長役場の事務にかかる、地租改正、地方税、会計、土地に関する達、願届、受領証など。(3)岡田家にかかる「小作証券」「耕地差配証券」がある。 (4)蟹沢村関係文書は、土地の質入、譲渡などの証文、夫食借用証文、領主側の達などである。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件 EAD-XML検索システムでの検索も可能ですが、閲覧を希望する場合は事前に情報サービス第2係(歴史資料担当)へお問い合わせ下さい。
使用条件
使用言語 Japanese
物的特徴及び技術要件
検索手段 仮目録(昭和34年度)
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記 『角川日本地名大辞典』6の同村の項の記述によれば、地元にも岡田家文書があるらしい。要調査。
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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