識別記号 | ac1960018 |
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資料記号 | 35R |
標題 | 若狭国敦賀郡敦賀中橋町平山家文書 |
年代 | 1649年~1900年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1649(慶安2)年-1900年代(明治末) |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 2m/249点 |
物的状態注記 | 249点(27冊、215通、1綴、2鋪、3袋、1括) |
出所・作成 | 平山家 |
履歴 | 平山家は、布屋と号し、代々近世を通じて吉兵衛あるいは吉右衛門を名乗り、天和頃に東近江(柳川・薩摩・八幡方面)の商人筋宿を勤め、元禄頃に敦賀の買問屋惣代になって敦賀の有力商人として活躍した。代々の当主は、1624(寛永元)年に没した元祖道徹から始まり、道頓−頓入−祐慶−三柳(この間不詳)邦秀−邦順−邦光−邦照(「年忌書抜覚」仮番号66)、幕末には善右衛門真邦(善蔵と改めた後善右衛門)と名乗った。布屋吉右衛門は、享保期より小浜藩の献金または金調達の御用を勤めたと伝えられ、1749(寛延2)年に小浜藩金談御用を勤めることとなって5人扶持を与えられ、1760(宝暦10)年に小浜藩江戸屋敷焼失にあたって冥加金100両を上納して10人扶持、その後も数度の調達金御用によって1798(寛政10)年には20人扶持、屋敷3か所地子免許、1802(享和2)年帯刀足駄御免、1825(文政8)年格式を申し付けられている。近世後期には廻船業に進出し、宝暦期には江差に入津の敦賀船に船頭孫右衛門の船主として布屋吉右衛門の名がある。また、平山家は1789(寛政元)年幕府巡見使の宿所となっている。平山善右衛門の時、小浜藩の新たな海防強化に際して大砲方となり、1859(安政6)年運送頭役(文久元年御免)、1862(文久2)年海陸武備御手宛・異国船応接掛、同3年大砲御製造掛(明治4年御免)、1865(慶応元)年町年寄仮役、船頭頭役(明治3年御免)等の職に就いている(「平山吉右衛門名跡相続願」仮番号6、『敦賀市史』通史編上巻 1985年)。 (関係地)若狭国敦賀郡敦賀中橋町‐敦賀県敦賀郡敦賀町‐滋賀県敦賀郡敦賀町‐福井県敦賀郡敦賀町‐福井県敦賀市[現在] (主題)小浜藩大砲方|運送頭役|海陸武備御手宛|異国船応接掛|大砲御製造掛|町年寄仮役・船頭頭役|商人|買問屋惣代|廻船業 (役職等)小浜藩大砲方|運送頭役|海陸武備御手宛|異国船応接掛|大砲御製造掛|町年寄仮役|船頭頭役|商人|買問屋惣代|廻船業 |
伝来 | 1960年に原蔵者より譲渡。 |
入手源 | 原蔵者 |
範囲と内容 | この文書群は、(1)買問屋・廻船等の諸商業活動関係、(2)小浜藩の御用関係、(3)家文書に大まかに分けられる。(1)は、他国商人の注文を受け、売問屋から買い取って売捌く買問屋業務および廻船業に関わる証文類、および諸荷物運搬の敦賀馬借座を布屋が買取った証文と馬借代金証文等がある。他に1649(慶安2)年の町屋敷売渡証文をはじめとする土地・建物の売買・借用証文類が全体の大半を占めている。(2)は小浜藩の資金調達にあずかっての史料が多く、1731(享保16)年の町年寄3名署判による日光普請役費用のための御用金受取証文や藩への平山家が関係した調達金等に関する文書である。資金調達のための講を開くにあたっての引当証文等もある。また、1862(文久2)年に平山家の中橋町屋敷地を蝦夷地産物会所に提供する箱館方役人宛ての願書、1879(明治12)年その敷地建物の払い下げを求めた願等、箱館産物会所に関する文書がまとまっている。(3)家文書には、家系や名跡相続願とともに、藩の役職就任の祝儀関係がある他、宝暦期以降の「香典帳・年忌書抜・法事控」20冊等冠婚葬祭に関する文書、当主の辞世や詩歌が含まれている。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | 虫損による破れが目立ち、一部水損を受けて紙質がフケて変色し脆弱になったものがある。 |
検索手段 | 仮目録(昭和35年度)、カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | 『敦賀市史』史料編第2巻(1978年)に25点が翻刻されている。 |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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