【伊勢国亀山板倉家国絵図史料】
識別記号 ac1960023
資料記号 35W
標題 伊勢国亀山板倉家国絵図史料
年代 1697年~1725年
主年代
年代注記 1697(元禄10)年-1725(享保10)年
記述レベル collection
書架延長/数量 2m/71点
物的状態注記 71点(21鋪、11冊、38通、1枚)
出所・作成 板倉家
履歴 1696(元禄9)年11月、将軍綱吉は国絵図改訂の意向を老中土屋相模守政直に発し、翌1697(元禄10)年閏2月には各国の絵図元(国絵図担当藩)が割り当てられた。伊勢国の場合、正保度は和歌山藩が単独で絵図元を勤めたが、元禄度は桑名藩と亀山藩の相持ちで任命され、清絵図(絵図清書)は桑名藩の担当とされた。これを受けて、両藩は絵図担当の人選を行い、桑名藩は江戸物頭小寺新五左衛門、目付青木弥一右衛門らが、亀山藩は江戸物頭多賀源左衛門、芹沢安右衛門、取次役松本弥一兵衛らが絵図役人に任命された。なお、桑名藩では6月頃から関戸杢左衛門が任命され、以後献上に至るまで関戸、多賀、松本が絵図役の中心となって活躍する。幕府は4月に、新国絵図(元禄度)は古国絵図(正保度)の改訂として編纂し、担当役人による新たな実地見分は不要で、国境と郡境の厳密な画定を行う、という基本方針を示し、翌5月には国絵図仕立様、国境絵図仕様についての覚書をも提示した。5月末に幕府勘定方から古国絵図と慶安郷帳が貸出され、桑名藩留守居布藤弥兵衛が出頭受領し、まず桑名藩で写本が作成された。そこで模写完成後、6月17日に古絵図・古郷帳が亀山藩に到着し、絵師渋谷文右衛門が17日を要して書写を行って7月5日に完成した。これが史料館所蔵「正保度伊勢国絵図写」である。その後、各領主別の村附(所附)が到着してから、本格的に事業が具体化する。下絵図の作成と吟味を経て清絵図が完成したのは1700(元禄13)年10月27日で、幕府への献上は同年12月4日である。12月13日に桑名藩から下絵図が亀山藩に届けられ、控絵図(含7か国縁絵図)の模写を始め、年末の27日に完成し、絵図の文字書付けを完了したのは翌1701(元禄14)年正月9日である。これが史料館所蔵「元禄度伊勢国絵図控」である。したがって清絵図と同時ではなく、献上後、手元に残った下絵図が基になって作成されたので、献上本を基に写が作成されたわけではない。なお、元禄度国絵図改訂作業時の亀山藩は、1669(寛文9)年下総関宿より5万石で入封した板倉重常の次代、板倉重冬(周防守)が藩主である。 事業終了後、亀山藩では関係文書を整理して番号を付与し、一括保管していた、その一部が本文書群である。
(関係地)伊勢国鈴鹿郡亀山‐三重県亀山市[現在]
(主題)大名;奏者番
(役職等)大名;奏者番
伝来 1960年に古書店より購入。
入手源 古書店
範囲と内容 本文書群の内容は、元禄度国絵図を改訂する過程で、作成したり授受した文書類であることから、国絵図作成事業記録ともいえる。まず「元禄度伊勢国絵図控」は323×584cmと史料館所蔵史料で最大のもので、全国的に共通することでもあるその特徴は、絵図の体裁や様式が統一されていることと、絵図内容の簡素化を指摘できる。もうひとつは、他国の絵図には見られない記載上の特徴、すなわち度会郡の一画に、村高についての記載を一切持たず村名のみ記載された一群の村々が認められることである(杉本史子「国絵図作成事業と伊勢神宮領」『日本歴史』498号、1989年)。その他の史料は、この絵図作成のため参考、ないしは確認に要したものである。主要なものをあげると、「正保度伊勢国絵図写」(353×503cm)、領主別村附(所附)では津藩、津大宝院、河曲郡西条村龍光寺、三重郡六呂見村観音寺の他、神宮領の内宮・外宮のものがある。知行所改証文は津藩、鳥羽藩、旗本丹羽領、また郷帳は津藩、鳥羽藩、村高帳は旗本保田領、和歌山藩のものがある。国境確認のための縁絵図は「伊勢境志摩国証文縁絵図」など7鋪、他国越の道確認のための越道(小絵図)証文が11通ある。その他に注目されるのは「伊勢国就御絵図被仰渡并相窺御返答帳」で、1697(元禄10)年2月の大目付廻状から1700(元禄13)年5月の志摩国境処理までの記事であるが、この間の幕府からの通達、桑名・亀山両藩からの窺書に対する返答などを詳細に書留たものである。末尾に元禄度国絵図担当大名の一覧が記されている。さらに「書第壱号」と表紙に貼紙のある「伊勢国絵図帳書付入記」は、亀山藩での元禄度国絵図作成に関する文書保管リストであるが、現在史料館所蔵分はその一部である(以上、吉田敏弘「元禄伊勢国絵図の作成過程」(1)・(2)『四日市市史研究』第5・6号、1992・1993年、『四日市市史』第6巻 史料編絵図、1992年)。また、「桑名領絵図」(297×226cm)があり、桑名・員弁・朝明・三重の4郡分で村高記載はない。元禄以前の領内図であろう。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 これまでの文書群名は「伊勢国国絵図文書」。
利用条件 国絵図は大型なので通常は複製物によって閲覧に供している。
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 カード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料 桑名鎮国守国神社には桑名藩での元禄度国絵図作成に関する史料の一部である、正保・元禄度伊勢国絵図写がある。元禄度のは2点で、下絵と清絵図の写とされている。亀山藩板倉家文書で元禄度国絵図作成に関する史料は『明治大学刑事博物館目録』第40号(1972年)に44点所収されている。これについては「伊勢国元禄国絵図作成について−伊勢国亀山藩文書から−」(神崎彰利『明治大学刑事博物館年報』16、1985年)に詳しく紹介されているし、末尾に一部翻刻(絵図作成の進展をみるために、「伊勢国御絵図御用留帳」「伊勢国領知吟味帳」の記事を含めて編年体)掲載されている。
出版物 本文書群の内、「伊勢国就御絵図被仰渡并相窺御返答帳」については、吉田敏弘「元禄伊勢国絵図の作成過程」(1)(『四日市市史研究』第5号、1992年)に全文掲載されている。旗本保田宗郷領の「伊勢国知行村高帳」、同丹羽正道領の知行所改「証文写」は『四日市市史』第8巻、史料編近世I(1991年)に掲載されている。伊勢国近江境縁絵図控と正保・元禄国絵図写と控は、『四日市市史』第6巻、史料編絵図(1992年)に掲載されている。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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