| 履歴 |
本文書群は個人収集文書の一部であるため出所が必ずしも明確でないが、内容から、おそらく長峯村戸長役場に伝来したものと推定される。長峯村は1690(元禄3)年の年貢免状(仮番号2)によれば村高334石余、「旧支配」の項に記したように、近世後半は2給ないし3給の相給村である。史料に登場する名主は、天明・天保・文政期には浅右衛門、1869(明治2)年は元右衛門である。廃藩置県後、1876(明治9)年第十大区五小区長峯村の副戸長は本田弥曽右衛門と中村善六、1884(明治17)年長峯村戸長は本田弥曽右衛門である。本田弥曽右衛門家は印鑑の照合から、1869(明治2)年に名主をつとめていた元右衛門家と同家であると推定される。
(関係地)三河国額田郡長峯村‐愛知県第七大区第五小区長峯村‐第十大区五小区長峯村‐第十一区長峯村‐額田郡幸田町長峯[現在] (主題)― (役職等)―
|