識別記号 | ac1961020 |
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資料記号 | 36T |
標題 | 文部省調査局宗務課引継文書 |
年代 | ~1961年 |
主年代 | ― |
年代注記 | 古代-昭和期 |
記述レベル | recordgrp |
書架延長/数量 | 50m/2163点 |
物的状態注記 | 2163冊 |
出所・作成 | 文部省調査局宗務課 |
履歴 | 文部省調査局宗務課(当館へ移管当時)の近代以降、現在までの変遷は以下の通りである。 1868(慶応4)年4月神祇官設置、1871(明治4)年8月神祇官廃止・神祇省設置、1872(明治5)年3月神祇省廃止・教部省設置(社寺管掌)、1877(明治10)年1月教部省廃止・社寺教務関係事務を内務省に所属(内務省社寺局設置)、1878(明治11)年2月内務省の陵墓事務を宮内省へ所属、1900(明治33)年内務省社寺局廃止・神社局宗教局設置、1913(大正2)年6月内務省宗教局廃止・文部省宗教局設置、1942(昭和17)年11月同省教化局宗教課、1943(昭和18)年11月同省教学局宗教課、1945(昭和20)年10月同省社会教育局宗教課と変遷する。 一方、1900(明治33)年4月設置の内務省神社局は、1940(昭和15)年11月同省神祇院となり、1946年2月まで存続し、以降文部省社会教育局宗教課に統合され、同年3月同省大臣官房宗務課、1952年8月同省調査局宗務課、1966年5月同省文化局宗務課、1968年6月文化庁文化部宗務課(現在)となる。 明治初年から宗教団体法施行直前までの期間は、統一された宗教法というものはなく、明治初年以来、時宜により必要に応じて発布された太政官布告、教部省達また達書、内務省令、達、訓令、訓、社寺局通牒、文部省令・訓令、宗務局通牒など紛然たる諸法規による行政が行われていた。そこでこのような宗教法規を統一整備して宗教行政を明確にしようとする機運が起こり、まず1899(明治32)年宗教法案が貴族院に上程されたが、審議未了に終わる。1921(大正10)年度以来、文部省宗教局では、宗教制度調査費を設け、宗教制度制定のためにその基礎資料の調査・研究を行い、調査事項がまとまると逐次これを印刷に付した。翌年、帝国議会で政府に宗教制度調査機関を設置する建議があり、その結果、1926(大正15)年5月宗教制度調査会が設置された。同会は宗教制度に関する重要事項を調査審議し及び宗教制度に関する重要事項について文部大臣に建議することを目的としている。宗教局では同会の運営に資するため、宗教制度の各般にわたる事項を文献や宗教団体の実態について調査し、宗教制度調査資料、そのほか関連する様々な資料を作成して印刷し、その量は膨大なものとなった。同会の審議は順調に進められ、神社問題もその論点のひとつとなり、宗教法に対して神社法を制定し、神社を宗教の圏外に置くようにしたいとの希望条件を可決した。この結果、1929(昭和4)年、統一ある神社法を制定し、神社の性格、神社制度について明確な統一法規を策定することを目的に神社制度調査会が設置された。1927(昭和2)年に宗教法案、1929(昭和4)年に宗教団体法案が立案されたが、いずれも議会では成立しなかった。1935(昭和10)年末、宗教団体法案及び要綱を作成したが、1939(昭和14)年4月8日、宗教団体法が公布され、翌1940(昭和15)年4月1日から施行された。当時の国家主義的方針に則った一種の統制法の性格が反映され、その趣は法文の内容から判断できる。そのほか関連法規を挙げれば、1939(昭和14)年12月23日宗教団体法施行令、1940(昭和15)年1月10日宗教団体法施行規則、3月8日宗教団体法・同施行令及び同法施行規則施行に関し取扱方の件、3月15日教派、宗教及教団の報告に関する件、3月16日宗教団体登記令、公衆礼拝用建物及敷地登記令、3月20日宗教団体登記取扱手続がそれぞれ公布され、ここに関係法規が具備した。宗教制度調査会は1940(昭和15)年3月30日廃止された(梅田義彦『改訂増補日本宗教制度史 近代篇』1971年)。 (関係地)東京都千代田区霞が関[現在] (主題)― (役職等)― |
伝来 | 1961年に文部省調査局宗務課より移管。 |
入手源 | 文部省調査局宗務課より移管。 |
範囲と内容 | 本文書群は、近代以降、寺院・神社を管掌した当時の行政組織によって作成・収集された文書が引継がれたもので、(1)寺院・神社行政関係文書、(2)「宗教制度調査会」関係文書(同会設置直前までの調査分を含む)、(3)内務省神社局関係文書及び旧蔵本とで構成される。 (1)では、まず「神社明細帳」(551冊)、「寺院明細帳」(148冊)、「仏堂明細帳」(90冊)がある。神社・寺院の実態や実数については、明治政府は初期の段階から調査をしているが、1879(明治12)年に新たな様式を定めて各明細帳を提出させている。その後の変更を訂正しながら、神社については終戦時まで、寺院については宗教団体法施行まで、公簿として中央及び地方庁にそれぞれ備付けられたもので、公認の神社・寺院となるには必ずこれに登載されなければならなかった。「神社明細帳」は、官国幣社・府県社以下神社・招魂社の3種があり、1873(明治6)年教部省調査の社格区別帳に端を発し、1879(明治12)年に一定の様式が定められ、さらに1913(大正2)年に様式が改定され整備される。所蔵しているのは1913(大正2)年の原本である。これには様々な変更事項の書込みがあることから、終戦時まで実際の神社行政遂行のために活用されていたことがわかる。「寺院明細帳」は、現存する中での所在地表記から判断すれば、最も遅く市制をとったのは1921(大正10)年の千葉市と宇和島市であるので、それ以降から1928(昭和3)年まで(変更事項の書込みの初見は1929年・昭和4年)の間に提出させたものである。これらの明細帳類は、戦中・戦後の混乱に伴い保管場所の変更を余儀なくされたため、欠帳が多い。他に「神道関係史料」(宗務局)と表題がある明治期の官令局達書綴がある。 (2)「宗教制度調査会」関係文書は、1926(大正5)年から1940(昭和15)年にかけて、各教団の固有の制度や沿革を明らかにするために、何人かの専門家に委嘱して各宗教の制度の歴史を調査させた成果で、文部省用箋にペンを用いて筆写したものが多い。その内容は、各宗派ごとの「寺院財産調査」(123冊)、1900(明治33)年制定の古社寺保存法策定時に収集した資料の写である「宝物目録」(60冊)、北海道、東京市・府下、京都、大阪、兵庫、和歌山、島根の府県の「寺院目録」や福井、長野、福岡3県の「寺院台帳」がある。「社寺取調類纂」(66冊)は教部省時代の同史料の写である。曹洞宗大本山総持寺の直末で東海地方随一の名刹といわれた万松山可睡斎所蔵文書の写である「可睡斎記録」(57冊の内、42冊)と「可睡斎記録摘要」(3冊)がある。また寺社奉行所文書の写である「公事吟味留」(16冊)、「真義真言触頭記録」(6冊)のほか、本山規模の寺院関係文書の写(65冊)がある。さらに「宗教制度調査彙報綴」もある。 (3)内務省神社局に関しては、「神社制度調査会関係書類」のほか、考証課の業務で活用された雑件綴の「考証雑纂」(2冊)、「神社祭式行事作法典故考究」(13冊)、官幣大社である安房神社は造営、三島神社は遷宮、大和神社は社殿復旧についての起案綴などもある。また、内務省旧蔵書は写本、版本、刊本が約600冊あり、その内容は神道・国学・国史関係が主であるが、古典籍もある(内務省旧蔵書であることは加藤玄智編『神道書籍目録』(明治聖徳記念学会発行、1938年)に所収の「内務省神社局考証課本」の書誌事項と合致することからわかる)。写本では、蔵書印から伊勢の神宮(内宮)社家の荒木田(華族澤田)家旧蔵本がかなり含まれていることが判明した。ちなみに蔵書印は「華族澤田家」のほかに、「萬都木」「薗田」「春霞館」「藤薗」「山口」など、神宮社家・神職家が散見される(神保郁夫「国文学研究資料館史料館所蔵神社関係資料について」『神道宗教』第158号、1995年)。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 別冊仮目録 |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | これまでの文書群名は「宗務課引継文書」。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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