| 履歴 |
文部省調査局宗務課(当館へ移管当時)の近代以降、現在までの変遷は以下の通りである。 1868(慶応4)年4月神祇官設置、1871(明治4)年8月神祇官廃止・神祇省設置、1872(明治5)年3月神祇省廃止・教部省設置(社寺管掌)、1877(明治10)年1月教部省廃止・社寺教務関係事務を内務省に所属(内務省社寺局設置)、1878(明治11)年2月内務省の陵墓事務を宮内省へ所属、1900(明治33)年内務省社寺局廃止・神社局宗教局設置、1913(大正2)年6月内務省宗教局廃止・文部省宗教局設置、1942(昭和17)年11月同省教化局宗教課、1943(昭和18)年11月同省教学局宗教課、1945(昭和20)年10月同省社会教育局宗教課と変遷する。 一方、1900(明治33)年4月設置の内務省神社局は、1940(昭和15)年11月同省神祇院となり、1946年2月まで存続し、以降文部省社会教育局宗教課に統合され、同年3月同省大臣官房宗務課、1952年8月同省調査局宗務課、1966年5月同省文化局宗務課、1968年6月文化庁文化部宗務課(現在)となる。 明治初年から宗教団体法施行直前までの期間は、統一された宗教法というものはなく、明治初年以来、時宜により必要に応じて発布された太政官布告、教部省達また達書、内務省令、達、訓令、訓、社寺局通牒、文部省令・訓令、宗務局通牒など紛然たる諸法規による行政が行われていた。そこでこのような宗教法規を統一整備して宗教行政を明確にしようとする機運が起こり、まず1899(明治32)年宗教法案が貴族院に上程されたが、審議未了に終わる。1921(大正10)年度以来、文部省宗教局では、宗教制度調査費を設け、宗教制度制定のためにその基礎資料の調査・研究を行い、調査事項がまとまると逐次これを印刷に付した。翌年、帝国議会で政府に宗教制度調査機関を設置する建議があり、その結果、1926(大正15)年5月宗教制度調査会が設置された。同会は宗教制度に関する重要事項を調査審議し及び宗教制度に関する重要事項について文部大臣に建議することを目的としている。宗教局では同会の運営に資するため、宗教制度の各般にわたる事項を文献や宗教団体の実態について調査し、宗教制度調査資料、そのほか関連する様々な資料を作成して印刷し、その量は膨大なものとなった。同会の審議は順調に進められ、神社問題もその論点のひとつとなり、宗教法に対して神社法を制定し、神社を宗教の圏外に置くようにしたいとの希望条件を可決した。この結果、1929(昭和4)年、統一ある神社法を制定し、神社の性格、神社制度について明確な統一法規を策定することを目的に神社制度調査会が設置された。1927(昭和2)年に宗教法案、1929(昭和4)年に宗教団体法案が立案されたが、いずれも議会では成立しなかった。1935(昭和10)年末、宗教団体法案及び要綱を作成したが、1939(昭和14)年4月8日、宗教団体法が公布され、翌1940(昭和15)年4月1日から施行された。当時の国家主義的方針に則った一種の統制法の性格が反映され、その趣は法文の内容から判断できる。そのほか関連法規を挙げれば、1939(昭和14)年12月23日宗教団体法施行令、1940(昭和15)年1月10日宗教団体法施行規則、3月8日宗教団体法・同施行令及び同法施行規則施行に関し取扱方の件、3月15日教派、宗教及教団の報告に関する件、3月16日宗教団体登記令、公衆礼拝用建物及敷地登記令、3月20日宗教団体登記取扱手続がそれぞれ公布され、ここに関係法規が具備した。宗教制度調査会は1940(昭和15)年3月30日廃止された(梅田義彦『改訂増補日本宗教制度史 近代篇』1971年)。
(関係地)東京都千代田区霞が関[現在] (主題)― (役職等)―
|