識別記号 | ac1961024.0302 |
---|---|
資料記号 | 36X3-2 |
標題 | 京都府中郡五箇村役場文書 |
年代 | 1874年~1955年 |
主年代 | |
年代注記 | 1874(明治7)年-1955(昭和30)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | .9m/48点 |
物的状態注記 | 48点 |
出所・作成 | 五箇村役場 |
履歴 | 五箇村村域は、京都府北部、奥丹後半島の根元部分にある。日本海に注ぐ竹野川の支流鱒留川の上流域に当たる。現在は鱒留川沿いに国道178号線が縦断し、隣町久美浜から峰山に通じている。現在の峰山町の南半部を占める。近世では、この地域に五箇村、鱒留村、二箇村、久次村があったが、宮津藩領、峰山藩領、幕府領が交錯していた。 近代では、明治維新後、1871(明治4)年、峰山県、ついで豊岡県に、1876(明治9)年より京都府に属し、大小区制期には豊岡県下の大小区制で第十一大区四小区に、大区を廃止した京都府では中郡第四区となった。大小区制度廃止後の組戸長役場制度では、五箇村、鱒留村、二箇村、久次村の地域は第二組あるいは第五組などとされた。さらに1884(明治17)年の連合戸長役場制ではこの4か村のほか、後に吉原村の一部となる菅村、新治村を加えて五箇村外五箇村戸長役場が組織された。市制町村制の施行に当たっては、連合戸長役場の組み合わせを解消し五箇村ほか3か村は合併し、1889(明治22)年、五箇村となった。1910(明治43)年の人口は、2184人を数えた。1956年、峰山町、吉原村、新山村、丹波村と合併、峰山町となり、さらに長善村の長岡を編入して今日に至っている。 (関係地)丹後国中郡五箇村・鱒留村・二箇村・久次村‐京都府中郡五箇村・鱒留村・二箇村・久次村‐五箇村‐峰山町五箇[現在] (主題)― (役職等)― |
伝来 | 1961年度に他の36Xの文書とともに、一括して故紙業者より購入。 |
入手源 | 故紙業者 |
範囲と内容 | この文書群は、五箇村を中心とした各村の戸長役場・組戸長役場・連合戸長役場・村役場の文書でそれぞれに継承され残存したものである。他村あるいは他の戸長役場管内の文書が若干みられるが、それらは組織の変遷の中で理由があってここに残ったものであろう。文書の多くは、土地関係、統計調査、社寺、人民諸願、上級官庁への進達、事務引継書などである。(1)各村・組・連合戸長役場文書a,土地関係では「山林原由慣行取調書」「現地反別地価総計明細書上帳」「山岳地勢総計帳」「山林地租調帳」「山林・柴山反別地価合計帳」「田畑反金帳」、b,統計調査関係では「物産取調書上帳」「統計書式解・統計書材料様式」、c,社寺関係では「神社明細取調書上記」、d,役場事務関係では「諸帳簿引渡目録」「戸長役場文書物件授受簿」、e,その他では「部内人民諸召喚状綴」「寄留届留」がある。(2)五箇村役場文書 a,進達上申関係では「戸長役場諸進達上申書綴」(錯簡)、b,教育関係では「五箇尋常小学校成路分教場新築有志人名」、c,その他では「戸長役場書類并器具目録」がある。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | これまでの文書群名は「京都府中郡五箇村他五ヶ村戸長役場書類」で、36X3−2仮番号68−92の分。 |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | 史料叢書第3巻『町村制の発足』(1999年)に『戸長役場書類并器具目録』の一部を収録。 |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
Copyright © National Institute of Japanese Literature All Rights Reserved.