識別記号 | ac1961024.07 |
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資料記号 | 36X7 |
標題 | 京都府熊野郡久美浜町引継文書 |
年代 | 1868年~1890年 |
主年代 | |
年代注記 | 1868(明治元)年-1897(明治30)年 |
記述レベル | recordgrp |
書架延長/数量 | 4m/164点 |
物的状態注記 | 164点 |
出所・作成 | 久美浜町役場 |
履歴 | 現在の久美浜町の西中央部に位置する旧久美浜村(後、町制施行)地域は、京都府の西北端にある。日本海に面する久美浜湾の最奥部を囲む位置にあり、久美谷川・栃谷川が湾に注ぐ平野部にあって、国道178号線、北近畿タンゴ鉄道線が横断している。近世においても、この地域は久美浜村1村である。ここを拠点として豊岡街道、久美浜街道など諸街道が通じ、また日本海への交通の要所であり幕府の代官所が置かれていた。近代では、明治維新後、1868(明治元)年久美浜県、1871(明治4)年、豊岡県を経て、1876(明治9)年より京都府に属し、大小区制期には豊岡県下の大小区制で第九大区一小区に、大区を廃止した京都府では熊野郡一区となった(大小区制下の豊岡県第九大区は熊野全郡で、53か村が一小区−三小区に分けられていた)。大小区制度廃止後、熊野郡第二組、ついで第四組戸長役場に属していた。1884(明治17)年、連合戸長役場期には、のちに久美谷村となる、神谷・河梨・口馬地・奥馬地・三谷・栃谷各村との連合戸長役場が久美浜村に設けられた。1889(明治22)年の市制町村制施行に当たっては、久美浜村は単独で施行したが、久美谷村との組合役場を組織したようである(組合役場の設置、廃止年次は未詳)。さらに1894(明治27)年に町制を施行、久美浜町となった。1888(明治21)年の戸数は457戸を数えた。1951年、久美谷村を編入、1955年、川上村、海部村、田村、神野村、湊村の各村と合併、久美浜町となり、さらに、1958年、佐濃村を編入し今日に至っている。これによって、熊野郡全域が久美浜町となった。 (関係地)丹後国熊野郡久美浜村‐京都府熊野郡久美浜村‐久美浜町[現在] (主題)― (役職等)― |
伝来 | 1961年度に他の36Xの文書とともに、一括して故紙業者より購入。 |
入手源 | 故紙業者 |
範囲と内容 | この文書群は、久美浜町(村)の文書というよりも、ほとんどが熊野全郡に相当する豊岡県第九大区区務所(或いは区会所)の文書であり、その後の組戸長役場の文書が若干加わったものである。このため、久美浜町(村)の範囲を越えた諸村にかかる文書が含まれる。久美浜村ほか6か村の連合戸長役場や組合役場などの文書は、今のところ例外的に確認できるのみである。従来、この文書群に「久美浜町引継書類」との名称を付されてきた理由は明らかではないが、第九大区区務所などの文書が久美浜村に引継がれたものであったことから、この文書群の名称となったものかと推定される。内容は主として、府・郡の法令、地租改正関連の土地関係、貢租、調査、事務引継などで、例示をすれば、次の通りである。(1)法令関係では「京都府布告」「地券御規則」、(2)土地関係では「現地反別・地価一筆限明細書上帳」「田畑荒地起返本免入・免直シ取調帳」「反別地価収穫一村限帳」「田反米・畑反麦・宅地価請書証印簿」「所持田畑反別一筆限帳」「各村荒地官有地・潰地反別取調簿」「荒地起返受書」「畑方・田方収米地価確定地券書類」「官林草山等取調帳」「田方反別収穫割簿扣」「官有地取調書上帳」「測量帳より川敷引去候分書上」「田畑宅地上中下平均反米取調書」、(3)貢租・入費関係では「貢納仕出帳」「丹後国熊野郡起返検見入仕出」「堤防橋普請入費書上帳」「諸小売商上り金高届書綴込」「貢租上納仕訳書」「貢租規内外御預リ米簿」「正租取調簿」、(4)調査関係では「社寺境内其外溜池堂郷蔵取調書上帳」「御県庁社寺御改測量扣」「神社取調簿」、(5)事務引継・その他では「引渡受授延引之部目」「演舌書」「各藩組(商法会所)御用懸印鑑帳」などがある。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
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注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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