識別記号 | ac1962004 |
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資料記号 | 37D |
標題 | 山城国乙訓郡菱川村文書 |
年代 | 1715年~1874年 |
主年代 | |
年代注記 | 1715(正徳5)年-1874(明治7)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | .7m/153点 |
物的状態注記 | 153点 |
出所・作成 | 菱川村 |
履歴 | 本文書群の発生母体を明確にし得る史料は確認できないが、本文書は菱川村の庄屋引継文書と考えられる。庄屋名には、例えば1862(文久2)年には源助、1866(慶応2)年には庄屋源助代兼善九郎、1871(明治4)年には庄屋三輪善九郎と見え、それぞれの庄屋名による文書も多数みられる。世襲型の庄屋制が、この段階で採用されていないことは明白であり、いわゆる庄屋引継による村文書として管理されていたとみられる。菱川村の元禄期の村高は799石余であり、公家・寺院などの相給村落であった。享保期の領主支配高は幕府領526石余、六条家領45石、地下役人堀川印旛守知行地30石余、南禅寺領21石余、本圀寺領155石余である。なお、各領主ごとに庄屋など村役人を置く形を取ったものかどうか確認できないが、兼帯する形があったことも考えられる。生産活動は、桂川からの用水による稲作が中心であった。 (関係地)山城国乙訓郡菱川村‐京都府京都市伏見区菱川町[現在] (主題)― (役職等)― |
伝来 | 1962年度に古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | 史料は概ね(1)庄屋文書と(2)明治初年の「京都御政府」への提出控文書、(3)組合村文書からなる。(1)には1743(寛保3)年「山城国乙訓郡菱川村差出明細帳」や各領主ごとの「高反別名前帳」などがみられる。(2)では1870(明治3)年7-9月付けの高反別小前帳が揃っている。この反別帳は「久我家々領高反別小前帳」などと領主ごとに記され、菱川村のみならず、金ケ原村・調子村・築山村・久我村下方・久我村上方・開田村・鶏冠井村・上植野村・友岡村・樋爪村・馬場村・今里村・長法寺村・白井村・大薮村・石倉村・清水村・上久世村・下海印寺村・岩見上里村・塚原村の分があり、その数は60冊に及ぶ。差出人は各村の庄屋など村役人であり、宛名は「京都府御政府」である。また、1870(明治3)年8-10月にかけて「立毛内見小前帳」が同様の形式で19冊程みられる。周辺諸村の分が菱川村に残された理由は必ずしも明確ではないが、菱川村庄屋が取りまとめを行っていた可能性が高い。(3)には桂川用水普請関係書類などがある。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | これまでの文書群名は「山城国乙訓郡諸村文書」。 |
利用条件 | ― |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第63集(1996年) |
原本の所在 | ― |
利用可能な代替方式 | ― |
関連資料 | ― |
出版物 | ― |
注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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