識別記号 | ac1962012 |
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資料記号 | 37L |
標題 | 信濃国小県郡東上田村田中家文書 |
年代 | 1676年~1877年 |
主年代 | |
年代注記 | 1676(延宝4)年-1877(明治10)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 3m/727点 |
物的状態注記 | 727点(260通、400冊、66綴、1枚)及び8袋、3鋪、2括 |
出所・作成 | 田中家 |
履歴 | 田中家は東上田村のうち、旗本松平(禰津)領の名主であるとともに、隣村の三分村の名主も代々兼帯した。東上田村は1624(寛永元)年より、旗本禰津領と大名上田藩領との相給となり、廃藩置県に至った。東上田村の村高は「正保書上」によると、401石余であり、そのうち松平(禰津)氏分242石余、上田藩領分158石であった。1805(文化2)年名主田中左内は松平氏により「中小姓格」に任命され、家臣としての待遇を与えられている。 (関係地)信濃国小県郡東上田村‐伊那県小県郡東上田村‐中野県小県郡東上田村‐長野県小県郡東部町大字和[現在] (主題)名主 (役職等)名主 |
伝来 | 1962年に古書店より購入。 |
入手源 | 古書店。 |
範囲と内容 | 田中家文書は、田中家が東上田村名主であるとともに隣村の三分村の兼帯名主であることから、両村の村政文書と田中家個人の私文書から構成されている。いずれも近世中後期から明治初年である。村政文書は(1)触書、(2)土地、(3)年貢、(4)無尽、(5)助郷、(6)騒動からなり、私文書としては、(7)祝儀・不祝儀、(8)経営、(9)旅行(道中記)等である。以下簡単に主要な文書をみることとする。(1)触書は1696(元禄9)年「御ふれ状かきとめちょう」、1869-1870(明治2-3)年「御布達留書」等。(2)土地は1676(延宝4)年「下畑名寄帳」を始めとして1705(宝永2)年「御名寄帳」(東上田村2冊)等。(3)年貢は、東上田村の「御年貢割付帳」が1703(元禄16)年を始めとして、1716(享保元)年分が存在している。年貢米を金納するための松井田・倉賀野の払米については、1743(寛保3)年「亥ノ御物成先納金割上ル帳」等が存在する。年貢未進に関しては、1716(享保元)年「未ノ御未進帳」等があり、このほか、国役金・夫銭・検見等に関する文書も少なくない。(4)無尽は、1740(元文5)年「御無尽金人数覚」、1805(文化2)年「殿様御無尽金連中之覚」で、この無尽は旗本財政救済のために実施されたものである。(5)助郷は、1773(安永2)年「尾張中将様御遺骸御通行ニ付急助人馬割合帳」ほかがある。(6)騒動は、1784(天明4)年「騒動ニ付入牢人諸入用之覚」(東上田村幸七・籐助入牢1冊)、1869(明治2)年「八月十七日夜騒動立入節人足等控」がある。私文書のうち、(7)祝儀・不祝儀は1749(寛延2)年「婚礼諸色入用覚帳并ニ祝儀被下候覚」(田中左平、1冊)、1805(文化2)年「殿様より御中小姓格被仰付御書付被下置候ニ付諸方より御祝儀被下候覚」とあり、これは名主田中家が旗本より「御中小姓格」に任命されたときのものである。(8)田中家の経営を示すものとしては、1805-1816(文化2-13)年「貸金之覚」、1862-1863(文久2-3)年「大福帳」等がある。(9)旅行は、1796(寛政8)年「伊勢御参宮御祝儀之覚」(田中嘉吉)、1814(文化11)年「伊勢参宮御祝義受納帳」、1817(文化14)年「伊勢講連中名前帳」、「奈良道中小遣帳」等がある。このほか、注目されるものとしては、1681(延宝9)年「万覚之帳」(東上田村田中市兵衛)で算法、ひでり付、諸山明神、宮地の覚等が記載されている。また、1704(宝永元)年「時之鐘出金之帳」(東上田村)、1790(寛政2)年「万伝授秘密控覚帳」は、薬種の調合法や諸まじない等が記されている。 |
評価選別等スケジュール | ― |
追加受入情報 | ― |
整理方法 | ― |
利用条件 | 未整理分(書付類)は閲覧できない。 |
使用条件 | ― |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | ― |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | ― |
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関連資料 | ― |
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注記 | |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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