| 履歴 |
近世の表佐村は、中期以降、6人の庄屋によって運営されていた。1758(宝暦8)年時点の庄屋名を挙げると、庄次郎・作左衛門・彦七・和右衛門・五兵衛・作右衛門であり、前後の年代の史料にあらわれる庄屋名と比較すると、1人の庄屋の継続性や、庄屋の家としての継続性は薄いように見受けられる。近代の表佐村は、近世の表佐村のみで成立し、戸長は1877(明治10)年時点では富田庄左衛門であった。1889(明治22)年の市制町村制施行以後も、表佐村は単独で自治体を維持し、1954年垂井町成立に伴う合併まで存続した。
(関係地)美濃国不破郡表佐村‐岐阜県不破郡表佐村‐岐阜県不破郡垂井町表佐[現在] (主題)― (役職等)―
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