識別記号 | ac1962024.08 |
---|---|
資料記号 | 37X8 |
標題 | 越後国頸城郡荒屋村相沢家文書||AIZAWA family papers and collections of Araya village, Kubiki district, the province of Echigo |
年代 | 1602年~1925年 |
主年代 | 明治前 |
年代注記 | 慶長7-大正14年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 9m/1604点 |
物的状態注記 | 1604点(696冊、811通、69綴、27枚、1鋪)、5括 |
出所・作成 | 相沢家 |
履歴 | 相沢家は荒屋村の庄屋を勤めた家とみられ、当主名は、文化期以降治郎左衛門、多作とみえる。但し1795(寛政7)年には組頭とみえる。高田藩は延宝年間より幕末まで領内を郷に分け、大肝煎を置いて支配しており、荒屋村は津有郷に属している。大肝煎配下の村々は大肝煎居住の村名または陣屋・郷蔵所在地を付した組に属し、荒屋村は門田・戸野目・上稲田組と変遷がみられる。この相沢家は1814(文化11)年に「桐原村兼帯庄屋煩ニ付荒屋村庄屋治郎左衛門」とあることから、桐原村の村政に何らかの関わりがあったものと推測されるが詳らかではない。荒屋村は、1617(天和3)年村高377石余、他新田34石余である。荒屋村は中江用水の堰元にあたっており、用水組合関係の諸入用割付等を行っている。相沢家の幕末より昭和までの当主は、安次郎−勝作−尚義を名乗っている。荒屋村は、1872(明治5)年に十大区小十区に所属し、相沢安次郎が戸長に就任し、1880(明治13)年には中江聯合会議員に相沢勝作とある。相沢尚義時代の土地経営は、1888(明治21)年に地価9000円の土地を所有し、1898(明治31)年には1万2508円である(『新潟県大地主名簿』農政調査会 1968年)。さらに1933(昭和8)年の所有地賃貸価格調査においては耕地10町歩以上の地主として、土地所有内訳、田35町3反8畝、畑3町2反を有している(前掲書)。 (関係地)越後国頚城郡荒屋村‐新潟県中頚城郡荒屋村‐新潟県中頚城郡津有村‐新潟県高田市荒屋‐新潟県上越市荒屋〔現在〕 (主題)組頭|庄屋|用水組合堰元|地主 (役職等)組頭|庄屋|用水組合堰元|地主 |
伝来 | 1962年度に他の37Xの文書とともに、一括して故紙業者より文部省史料館が購入。 |
入手源 | 故紙業者 |
範囲と内容 | 本文書群は、近世中期史料は少なく、後期史料を中核として明治・大正・昭和期までにわたっている。大まかに(1)荒屋村庄屋文書、(2)中江用水堰元文書、(3)戸長文書、(4)相沢家文書に分けられる。 (1)には、五人組帳、宗門人別帳が比較的まとまっており、土地・年貢関係帳簿、願書・訴訟証文等がある。他に1691(元禄4)年-享保期にかけて高田直江町高山宛の質入・質物証文がある。 (2)には中江用水の堰元関係の普請関係帳簿が多量にあり、1840(天保11)年「中江雑用帳」、1860(安政7)年「中江通御普請所証拠物并書類共書留」等が含まれる。 (3)は明治に入ってからの中江用水関係帳簿が多くを占めるが、地租改正、戸籍、議定関係も揃っている。(4)相沢家の由緒に関する史料は乏しいが家計・冠婚葬祭があり、とくに土地経営・小作に関する帳簿類が圧倒的に多い。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 仮目録(昭和37年度)・カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | |
注記 | 昭和38年 3月23日概要調査 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
Copyright © National Institute of Japanese Literature All Rights Reserved.