【美濃国不破郡表佐村飯沼家文書||IINUMA family papers and collections of Osa village, Fuwa district, the province of Mino】
識別記号 ac1962024.1001
資料記号 37X10-1
標題 美濃国不破郡表佐村飯沼家文書||IINUMA family papers and collections of Osa village, Fuwa district, the province of Mino
年代 1766年~1934年
主年代
年代注記 1766(明和3)年-1934(昭和9)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 8m/589点
物的状態注記 589点(537冊、22通、15括、15綴)
出所・作成 飯沼家
履歴 飯沼家は、表佐村に居住する医家である。19世紀前半の当主を徹因庵といい、そのほか、玄秀・長喬という名も見える。明治初年には、長円・玄朔という名も史料作成者として登場する。さらに明治期の史料作成者は「かぎ」という女性名であることが多い。本業のほかには地主経営も行っていた。また、飯沼家は、滋賀県彦根町東新町の前川双龍薬館と密接なつながりを持っていた。
(関係地)美濃国不破郡表佐村‐岐阜県不破郡表佐村‐岐阜県不破郡垂井町表佐[現在]
(主題)医家
(役職等)医家
伝来 1962年度に「滋賀県坂田郡高橋村野本家文書」(37X10-2)など他の37Xの文書とともに一括して故紙業者より購入。
入手源 故紙業者
範囲と内容 本文書群は、(1)医業、(2)経営、(3)家、(4)前川家の4つのサブグループに分かれる。(1)は、「家秘配剤記」が1766(明和3)年-1868(慶応4)年まで16冊、「大帖配剤記」が1872(明治5)-1885(明治18)年まで28冊などである。(2)は、1826(文政9)年-1874(明治7)年までの「田畑小作人掟帳」29冊、1827(文政10)年-1868(慶応4)年までの「金銀出入帳」4冊などである。(3)は、祝儀関係の帳簿や講関係の諸史料である。 (4)のサブグループがなぜ存在するのかは明確にしえないが、「前川みさを」という者が表佐村尋常小学校に通学していたことは確かなので、彦根の前川家と何らかの姻戚関係があり、それに伴って文書も移動したのではないだろうか。前川家は、近世には彦根藩士であったらしく、畳奉行や藩主一族の賄役を勤めており、その関係の史料も散見される。近代に入って薬種業を開始し、前川双龍薬館を開業したものと思われ、(4)の史料35件のうちの大半はこの関係の史料である。飯沼家とのつながりも薬の取引を通じてはじまったのであろうか。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 従来「近江国犬上郡前川家文書」は単独の文書群として扱われてきたが、上述の通り、出所が単一である可能性が考えられるのでこれに含めた。
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 史料仮目録B
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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