識別記号 | ac1964006 |
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資料記号 | 39F |
標題 | 越後国魚沼郡下舟渡村村山家文書||MURAYAMA family papers and collections of Shimo-funato village, Uonuma district, the province of Echigo |
年代 | 1687年~1876年 |
主年代 | 江戸後 |
年代注記 | 1687(貞享4)年-1876(明治9)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 2m/308点 |
物的状態注記 | 308点(6冊、292通、2綴、3鋪、5枚) |
出所・作成 | 村山家 |
履歴 | 村山家は、下船渡村の庄屋を勤めた家で、当主は寛保期から天保期にかけて六兵衛とみえる。下船渡村は、江戸前期では信濃川右岸の大野割段丘に点在する10か村の総称であって、本村である下船渡村、ほかに大場新田・卯ノ木村・源内山新田・駒返新田・割野村・貝坂村・割野新田・朴木坂村・小出新田からなっている。下船渡村は、1617(元和3)年村高89石余、他神山新田7石余であり、正保国絵図には高72石余で、割野村・卯ノ木村・貝坂村・朴木坂村も各1村に記されている。枝村として史料にあらわれるのは、近世中期の宝暦期頃からである(『津南町史』通史編上巻)。天保期の郷帳では枝村9か村を含み1127石余。近世中期以降は下船渡村1村と扱われ、六兵衛の肩書は「本村庄屋」として頻出する。1765(明和2)年、六兵衛は、上納金取立て方をめぐって枝村の百姓惣代より傘連判状を出され、翌年内済となる一件があったが、その後も引き続き庄屋を勤めている。但し、下船渡村庄屋として六兵衛以外に佐次兵衛、義兵衛などの名前も散見する。1841(天保12)年に六兵衛は病気を理由に休役を願い出ている(仮番号27)。1873(明治6)年、第十二大区小七区八番組の戸長に村山慶重郎が就任している(前掲書)。 (関係地)越後国魚沼郡下舟渡村‐柏崎県第十二大区小七区下舟渡村‐新潟県第十二大区小七区八番組‐新潟県中魚沼郡下舟渡村‐新潟県中魚沼郡津南町下舟渡[現在] (主題)庄屋|戸長 (役職等)庄屋|戸長 |
伝来 | 1964年度に古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | 本文書群は、概ね(1)下船渡村庄屋文書、(2)村山家文書からなる。(1)には枝村である大場新田・卯ノ木村・源内山新田・駒返新田・割野村・貝坂村・割野新田・朴木坂村・小出新田の9か村分の文書が含まれる。1681(天和元)年以降、幕府領期の1687(貞享4)年を上限とする1828(文政11)年までの年貢割付状、1775-1818(安永4-文化15)年皆済目録が枝村分ともにある。また1692(元禄5)年「下船渡村分地之内田地開発ニ付連判手形」、1724(享保9)年「割野堰普請ニ付惣百姓連判取極証文」、化政期の小出新田の温泉に関する文書、1831(天保2)年の小出新田桑木沢の銅山開発に関する文書がある。(2)の家文書は、貸借・売買証文、奉公人請状等である。他、明治期の戸長関係史料が少量含まれている。 その他に明治期の北魚沼郡栗山村(現北魚沼郡広神村)の「地引絵図」、南魚沼郡土樽村(現南魚沼郡湯沢町)の「森林原野入会権ニ関スル事項調査」が混入している。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | |
出版物 | |
注記 | 昭和40年 3月 3日概要調査。新潟県中魚沼郡津南町下船渡甲1170村山忠夫氏旧所蔵者か(深川氏に確認のこと) |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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