識別記号 | ac1966012.03 |
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資料記号 | 41L-3 |
標題 | 山梨県中巨摩郡源村役場文書||Minamoto village office records, Naka-koma district, Yamanashi prefecture |
年代 | 1869年~1899年 |
主年代 | 明治前 |
年代注記 | 1869(明治2)年-1899(明治32)年 |
記述レベル | fonds |
書架延長/数量 | 2m/107点 |
物的状態注記 | 107点;数量の内訳(カード目録より算出)108冊、6綴 |
出所・作成 | 源村役場 |
履歴 | 源村は、飯野村の西隣、御勅使(みだい)川扇状地の扇頂部に位置する。現在の白根町の西半分を占める地域である。この地域は、近世では西郡筋に属し有野村などがあった。現在は韮崎市内の上円井(かみつぶらい)村からこの地域の曲輪田新田に至る徳島堰が通水し(1670年完成)、「原七郷」と呼ばれたこの一帯の灌漑用水となった。 明治維新後、この地域は1868(明治元)年に市川県、翌1869年に甲府県、1871(明治4)年に山梨県の管轄となった。大小区制期には、1872(明治5)年に巨摩郡第二十四区、1876(明治9)年には山梨県第十三区に属し、1878(明治11)年の巨摩郡の分割では中巨摩郡に属した。1875(明治8)年、有野・築山・駒場・須沢・大嵐・塩前の6か村と曲輪田新田に、飯野村の飯野新田を加えて源村が成立した。源村の面積は東西1里15町・南北約1里2町で(『山梨県市郡村誌』)、この年の戸口は、446戸、2082人であった。同年の「源村事務所」、さらに1878(明治11)年の「源村役所」を経て、1884(明治17)年の「戸長役場」の設置に際しては、飯野村との聯合戸長役場が組織され、「源村飯野村戸長役場」(源村外一箇村戸長役場)と称し、役場を源村飯野新町組に置いた。市制町村制の施行に際しこれを解消し、単独の役場を設置した。 1957年源村のうち飯野新田・曲輪田新田・築山が白根町に編入、1959年源村が白根町と合併し現在に至っている。 (関係地)山梨県巨摩郡源村‐中巨摩郡源村‐山梨県中巨摩郡白根町[現在] |
伝来 | 1966年度に他の山梨県下町村役場文書とともに、一括して古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | この文書群は、明治維新以後、市制町村制初期までのものであるが、多くは村事務所期から戸長役場期に集中している。構造は、(1)源村成立以前の諸村のうち築山村の史料が残存しているので、築山村名主(所)・戸長(事務取扱所)の分があり、(2)源村戸長(事務取扱所)・村事務所・村役所文書(74点)、(3)徳島堰下詰所文書(3点)、(4)源村外一箇村戸長役場文書(26点)、(5)源村役場文書(3点)がある。 (1)源村事務所・村役所文書は、いずれも土地関係で主に田畑の「名寄帳」「一筆限反別地価取調帳(簿)」「地所一筆限取調帳」「地券帳」、山林にかかる「山林原野一筆限帳」「山林原野名寄帳」などである。(3)徳島堰下詰所文書は少量で詰所入費・水役がある。(4)源村外一箇村戸長役場文書もほとんどが土地関係の史料で「地価修正一筆限取調帳」などの地価修正、反金調書、地所分裂・合併申告願、土地総計、土地調査に関するものである。(5)源村役場文書は「地価帳」「土地単価表」などでほとんどが地価に関する史料である。 なお(5)源村役場期のなかに、松本税務管理局(1896(明治29)年10月設置、1902(明治35)年11月廃止)・東京税務監督局(1902(明治35)年11月設置)の罫紙を使用している史料が2点ある(史料番号136・139)。特に松本税務管理局の文書は同局内部の決裁印と思われる押印があり、源村文書の一部となっている理由は不明である。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | これまでの文書群名「山梨県中巨摩郡諸村役場書類」(41L)を分割した(史料番号98−159)。 |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第64集 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 「山梨県中巨摩郡飯野村役場文書」41L-4 |
出版物 | |
注記 | 関係記事『史料館報』第4号 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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