【志摩国答志郡鳥羽須藤家文書||SUDO family papers, Toba, Toushi district, the province of Shima】
識別記号 ac1967001
資料記号 42A
標題 志摩国答志郡鳥羽須藤家文書||SUDO family papers, Toba, Toushi district, the province of Shima
年代 1761年~1875年
主年代
年代注記 1761(宝暦11)年-1875(明治8)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 .1m/26点
物的状態注記 26点(20冊、4通、2巻)
出所・作成 須藤家
履歴 須藤家の鳥羽藩士としての役職歴については、1873(明治6)年の「須藤連蔵戸籍写」により、1827(文政10)年以降は徒士、徒目付、浦方役、代官役、郡吏を歴任していることがわかる。また他の史料で1857(安政4)年、1864(元治元)年、1868(慶応4)年に「御代官(8石3人扶持)須藤連蔵」とある(「志州鳥羽藩禄高控」「御家中分限帳」、『鳥羽市史』上巻(1991年)所収)。
(関係地)志摩国答志郡鳥羽‐鳥羽県答志郡鳥羽‐度会県答志郡鳥羽‐三重県鳥羽市鳥羽[現在]
(主題)藩士;徒士‐徒目付‐浦方役‐代官役‐郡吏
(役職等)藩士;徒士‐徒目付‐浦方役‐代官役‐郡吏
伝来 1967年度に古書店より購入。
入手源 古書店。
範囲と内容 本文書群は須藤家の鳥羽藩士としての役職上、伝来した文書で、またその必要に応じて、関係した他家の文書の写などを含む。少量であるので主な文書を列挙する。 まず志摩国56か村、伊勢国17か村の軒数、村高、寺院書上である「志勢御領分村高控帳」(1840年・天保11年)、1841-1868(天保12-慶応4)年「従公義被仰出候御書付写」の他、御徒目付役に関係して、1839(天保10)年「御徒目付役萬勤方年中行事」、大坂加番では1825-1852(文政8-嘉永5)年「大坂御加番御徒目付御供詰之覚」他、1842(天保13)年写「御供諸事留帳」、1845(弘化2)年「(大坂御加番御合力米之覚)」他がある。また、入封した藩主稲垣氏初代昭賢の代に、1728(享保13)年、1748(寛延元)年、内宮・外宮・伊雑宮の正遷宮に警固役を勤めて以来、維新までの常例となったことから、嘉永2年「伊勢両宮正遷宮御徒目付役勤方控」、海防策の一環として砲台を築くことになり、「(砲台築立ニ付御書付并口上書留)」がある。漁業では藩営の楯漁に関して、1761(宝暦11)年「伊気浦真浦小楯役船居所帳」、1841(天保12)年「邑々楯漁事船数之控」、1866(慶応2)年「漁事書留」、1869(明治2)年「大潟浦楯船居所帳」などがある。また、1858(安政5)年「諸式覚」には、去寅(1854年・安政元年)11月の津波による溺死、怪我人、損壊状況、御救金の配分など各村の被害状況についての詳細な記事がある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法 これまでの文書群名は「志摩国志摩郡鳥羽須藤家文書」。
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 カード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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