識別記号 | ac1967006 |
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資料記号 | 42F |
標題 | 山梨県東山梨郡平等村上万力村組合役場文書 |
年代 | 1874年~1907年 |
主年代 | 明治 |
年代注記 | 1874(明治7)年-1907(明治40)年 |
記述レベル | recordgrp |
書架延長/数量 | 2m/130点 |
物的状態注記 | 130点 |
出所・作成 | 平等村上万力村組合役場 |
履歴 | 平等村・上万力村村域は、甲府盆地の北東、笛吹川中流右岸(西岸)と支流平等川の合流点にあり、かつての秩父往還、現在の国道140号線がほぼ南北に通っている。現在の山梨市西部に位置している。近世では万力筋に属し、平等村の地域には落合村、正徳寺村、矢坪村、山根村、上岩下村の5か村に分かれていた。『旧高旧領取調帳』によれば、それぞれ村高が、606石余、756石余、41石(落合村地内)、222石余、459石余、上万力村が986石余であった。明治維新後、甲府県、甲斐府、甲府県を経て、1871(明治4)年から山梨県となり、大小区制期には、1872(明治5)年に山梨郡第八区、1876(明治9)年、山梨県第二十六区に属し、1878(明治11)年の山梨郡の分画の際、東山梨郡に属した。この間、1875(明治8)年、落合村ほか4村は合併して平等村となった。平等村・上万力村両村は、連合戸長役場に組織され、1889(明治22)年の市制町村制の施行に当たっては、単独で施行したが、引き続き組合役場を組織した。1891(明治24)年の戸口は平等村が401戸、2582人、上万力村は、166戸、1184人であった。さらに両村は、1942(昭和17)年、合併して山梨村となり、1954年、日下部町、加納岩町、八幡村、岩手村、後屋敷村、日川村と合併、山梨市となった。 (関係地)山梨県山梨郡正徳寺村・山根村・矢坪村・上岩下村・落合村・上万力村‐山梨県東山梨郡平等村・上万力村‐山梨村‐山梨県山梨市[現在] |
伝来 | 1967年度に他の山梨県下町村役場書類とともに、一括して古書店より購入。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | この文書群は、従来「平等村役場書類」となっていたものであるが、上万力村との組合村役場の文書とした。もっとも、平等村・上万力村両村は、連合戸長役場から組合役場へと、単一の役場を設けた上で合併したものであるから、2村にかかるとしても、単一の文書群である。ただ、出所が、平等村・上万力村組合役場か、合併後の山梨村役場か判然としない。しかし、合併後の文書を含んでいないと思われるので、組合役場文書とした。内容は次の通り地租改正以降の土地関係文書である。これらは、平等村・上万力村両村とも同じ表題の簿冊を作成しているようだが、文書群の階層構造が各村単位で截然と分離できるかどうかは、今後の検討課題である。例示するならば以下の通り。なお、他村(加納岩村など)のものと思われる文書1束が混在している、この文書の出所の特定は今後に待ちたい。(1)検地・丈量関係では、「土地名寄帳差抜控」「検地野帳」「地押ニ係ル地主誓約書」「地主総代出務簿」「地押検査ニ付御質問ノ条項ニ対スル答書」「丈量誤謬訂正願」などがある。(2)地価・地券関係では、「地価修正帳」「地券書換願」「地券名受書換願」「各人別反別地価地租集計帳」「地価金合計帳」「地価反金取調帳」「他村合併地価」「一筆限反別地価取調簿」「地券台帳」「地価修正一筆限取調帳」がある。(3)地租関係では「壱年限増徴地租計算帳」「郡村宅地租集計」「田租集計」「畦畔除却有租地編入願」「荒地起返官有地有租地ヘ組込地目変換届」、(4)開墾・免租関係では、「開墾自訴書」「開墾一筆限帳」「荒地年期未起返ニ付継年期取調上申」、(5)売買・書入・質入関係では「地所書入質入公証目録」「地所質書入小拾帳」「山下駒吉財産公売金収入簿」「財産取調帳」、(6)家屋・夫役関係・その他では「土地家屋売買約定証」「平等村略図」「檀家共同墓地調」などがある。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | JAPANESE |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | カード目録 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 加納岩村文書が「北海道利尻郡鬼脇村役場関係文書」37X6に混入している。 |
出版物 | |
注記 | 関係記事 『史料館報』第6号従来の文書群名は、「山梨県東山梨郡平等村役場書類」である。 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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