識別記号 | ac1967007.07 |
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資料記号 | 42G-7 |
標題 | 山梨県韮崎市役所文書||Nirasaki city office records, Yamanashi prefecture |
年代 | 1896年~1904年 |
主年代 | 明治後 |
年代注記 | 1896(明治19。推定)年-1904(明治37)年書き込み下限では、1956年の記載のものがある。) |
記述レベル | recordgrp |
書架延長/数量 | .2m/6点 |
物的状態注記 | 6点 |
出所・作成 | 未詳 |
履歴 | 韮崎市は山梨県の北西部、甲府盆地の北西部、釜無川(富士川上流)と支流塩川に沿っている。北から佐久往還が南から駿信往還が交叉する地点(現在では、それぞれ、国道141号線・52号線・20号線)には韮崎宿があった。この地域にあった河原部村ほか37か村が現在の韮崎市域である。このうち、次の諸村が本文書群と関係がある。 下条東割村・下条南割村・若尾新田(以上、1875(明治8)年合併して龍岡村)、河原部村・若尾村・上条東割村・下条西割村・下条中割村(以上、1875(明治8)年合併して大草村)、岩下村・上野山村(以上、1875(明治8)年合併して更科村) 龍岡・河原部・大草・更科各村のうち、1884(明治17)年に龍岡村・大草村は旭村とともに3か村の、また、河原部村・更科村は祖母石村・下条村との4か村の組合せによって聯合戸長役場が組織された(戸長役場所在地はそれぞれ大草村下条西割組・河原部村韮崎駅)。1889(明治22)年の市制町村制施行に当たっては、各村は単独で施行したが、河原部・更科・祖母石3か村は、河原部村外二箇村組合役場を設置した。このうち河原部村は1892(明治25)年に町制を施行し韮崎町となった。さらに3町村は、1937(昭和12)年合併して韮崎町となり、さらに1954年には韮崎町・大草村・龍岡村など1町10村が、合併して韮崎市となった。 なお、この文書群に混在している1冊は、八幡村(現在、山梨市)のものと推定される。 (関係地)山梨県北巨摩郡龍岡村・河原部村・大草村・更科村‐山梨県北巨摩郡韮崎町‐韮山梨県崎市[現在] |
伝来 | 本文書群は、123の河原部村文書と一体のもので、出所が同一かと考えられるが確証は得られない。史料に記載の年次(書込み下限)から、少なくとも一部は韮崎市発足後も引続き同市役所で使用されてから、他の史料とともに廃棄されたのではないかと推定されるのでこの文書群名称となった。1967年度に他の山梨県下町村役場書類とともに、一括して古書店(東京都内)より購入したものである。 |
入手源 | 古書店 |
範囲と内容 | 判明しているもので作成年次から(1)河原部村外三箇村戸長役場・韮崎町外二箇村組合役場文書(3点)、(2)龍岡村役場文書(1点)、(3)大草村役場文書(1点)および参考に掲げた(4)東山梨郡八幡村役所文書(1点)。 史料は、「寄留簿」1冊と「印鑑簿(留)」4冊と、および混入したと思われる八幡村の「一筆限取調帳」1冊である。「印鑑簿」のうちの2冊と「寄留簿」は作成者・書込み下限から河原部村・韮崎町関係の文書であるが、他の2冊の「印鑑簿(留)」は大草村役場と龍岡村役場の作成である。ただし書込み下限からすると、やがて韮崎市役所に引継がれ、最終文書年の主務者となるのは同市役所ではないかと考えられる。東山梨郡八幡村と思われる1冊は、他の印鑑簿との関連が認められない。 |
評価選別等スケジュール | |
追加受入情報 | |
整理方法 | これまでの文書群「山梨県北都留郡諸村役場書類(2)」(42G)を分割した(史料番号71−1〜71−6)。 |
利用条件 | |
使用条件 | |
使用言語 | Japanese |
物的特徴及び技術要件 | |
検索手段 | 『史料館所蔵史料目録』第64集 |
原本の所在 | |
利用可能な代替方式 | |
関連資料 | 当館には、韮崎町の前身河原部村の文書(「甲斐国巨摩郡河原部村文書」42E)がある。 |
出版物 | |
注記 | 関連記事『史料館報』第6号 |
収蔵名称 | 国文学研究資料館(歴史資料) |
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