【三河国額田郡西大平大岡家文書】
識別記号 ac1968304
資料記号 寄託
標題 三河国額田郡西大平大岡家文書
年代 1590年~1934年
主年代
年代注記 1590(天正18)年―1934(昭和9)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 7m/553点
物的状態注記 553点;煙草入れ(仮番号121)、印章(仮番号120、忠移・忠愛・忠敬)がある。
出所・作成 大岡家
履歴 大岡家は三河時代から徳川家康に仕えた譜代で、当大岡家は大岡忠政の3男忠世が父の・采地相模国高座郡の内に220石を分知されたのに始まり、その後次第に加増をうけた。2代忠世、3代忠真の代にも加増を受けたが、2000石に満たない旗本であった。4代忠相が8代将軍吉宗に仕えて、1717(享保2)年江戸町奉行、ついで1736(元文元)年寺社奉行に抜擢されると、次第に加増されて1748(寛延元)年三河西大平1万石となった。その後、忠宣、忠恒、忠與、忠移、忠愛、忠敬と続き、1869(明治2)年版籍奉還により忠敬が西大平藩知事に任命され、1871年同職を免ぜられ、東京府貫属、現米325石となり、1972年教部省補権中講義、1973年権大講義に転じ、同年願いにより免職となった。忠敬の嫡男忠明は正四位子爵となり、1887(明治20)年に前年の華族世襲財産法に基づき、親族会を構成し、華族局に世襲財産の登録をおこなった(仮番号88)。1914(大正3)年には忠綱が従五位下子爵に叙せられた(仮番号90)。
(関係地)1.三河国額田郡西大平‐愛知県岡崎市大平町[現在]|2.東京府第三大区十三小区赤坂一ツ木‐第三大区七小区赤坂一ツ木町‐東京府赤坂区一ツ木町‐東京都港区赤坂[現在]
(主題)旗本‐大名‐子爵;江戸町奉行‐寺社奉行
(役職等)旗本‐大名‐子爵;江戸町奉行‐寺社奉行
伝来 1968年度に原蔵者より寄託。
入手源 原蔵者
範囲と内容 本文書群は大岡家の家史料が中心であるが、(1)大岡家の家史料、(2)幕府役職関係史料、(3)明治期の家政史料に分けられる。 (1)は、a,由緒書・系図・先祖書、b,領知朱印状写、c,将軍家御内書、d,位記・宣旨・口宣案、e,武術免許状(日置流・大坪流ほか)、f,書状、g,「赤坂御屋敷守日記」(天保2年・文政10年)がある。 (2)は、大岡忠相の幕府役職に関わる文書群が中心で、a,法令集として、「撰要類集」11冊、「集成令」63冊がある。前者は忠相が江戸町奉行在職中(1717-1736年、享保2-元文1年)の19年余に及ぶ関係書類(仕置筋定書、書付、窺書、町奉行所ならびに由緒書類)を組与力上坂安左衛門に下命公撰させたもの。また、後者は1590(天正18)年より1817(文化14)年の間の法令などを集大成し、1829(文政12)年に大岡家家臣小瀬氏が書写したものである。b,忠相の日記として、寺社奉行在勤中の日記138冊(1736-1751年、元文元-宝暦元年)がある。1822(文政5)年の「従江戸三州御陣屋江被差置候御書物目録」(仮番号77)によれば、「撰要類集」13冊(総目録共)、「御手日記」97冊、御内書(家重34通・家治74通・家斉67通)を江戸より国元の陣屋に送り届けている。その後も、1832(天保3)年・1839(同10)年にも「御手日記」と将軍御内書を国元に送っているので、これらの文書は江戸で拝受あるいは作成後に国元へ送られて管理されていたものと思われる。 (3)明治以後では、a,明治維新から廃藩置県にいたる間の沙汰書・建白・諸願、b,1887(明治20)年前後の親族会・世襲財産登録関係書類、c,1897(明治30)年以降の旧領地三河諸村有志による大岡家旧邸地再興についての嘆願一件、d,1910(明治43)年頃の上総国所有地の鉄道敷地売却一件をはじめとする土地売買関係書類などがある。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 寄託史料目録またはカード目録
原本の所在
利用可能な代替方式
関連資料
出版物 大岡家文書刊行会編『大岡越前守忠相日記』全3巻(1972−1975年)。なお、『文部省史料館報』6号(1868年3月)、大石慎三郎「『大岡越前守忠相日記』とその史料価値についての若干の考察−吉宗政権の性格をめぐって−」(『日本歴史』289、1972年)、同『大岡越前守忠相』(岩波新書、青891)、『寛政重修諸家譜』第16巻(巻1061)を参照のこと。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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