【信濃国上田原町問屋日記】
識別記号 ac1971201
資料記号 F7101
標題 信濃国上田原町問屋日記
年代 1663年~1869年
主年代 江戸
年代注記 1663(寛文3)年-1869(明治2)年
記述レベル fonds
書架延長/数量 /41点
物的状態注記 マイクロフィルム;41リール 2万5485コマ 169冊 157点
出所・作成 瀧沢家
履歴 瀧沢家は、上田藩城下町であるとともに、北国往還上田宿の中の原町問屋を、17世紀中頃から明治維新まで代々勤めた家柄である。城下町上田宿には海野町・横町・鍛冶町を支配し、本陣を兼帯した海野町問屋と、原町・田町・柳町・紺屋町を支配した原町問屋があって、月交替でその任にあたった。瀧沢家は宿駅問屋として町奉行に直属し、町年寄がその配下におり、参勤交代時等に600疋の伝馬人馬を差配した。また3000人の町方人口を把握し、行政担当者としても重要な位置を占めた。瀧沢家の当主は代々助右衛門と称し、真田氏が上田城とその城下町を造った際、原町は本原村から移住した人々で形成され、瀧沢家もその一家であった。問屋役は伝馬・夫役の支配のほかにも、商工業を管理し、産業経済の基本を把握するばかりでなく、住民の家督、縁組、風俗、祭祀等町政一般を掌握していた。
(関係地)信濃国小県郡上田原町‐長野県上田市原町[現在]
(主題)問屋
(役職等)問屋
伝来 瀧沢佳夫氏(撮影当時。長野県上田市)、現在の所蔵者は助右衛門氏。
入手源 瀧沢佳夫氏
範囲と内容 瀧沢家文書のうち、原町問屋日記と称される日記を収録した。原町問屋日記は1663年から1869年の207年間に及ぶもので1冊の欠損もなく完揃している。瀧沢家4代目忠勝から11代目勝誠まで、実に8代にもわたり、原町問屋の瀧沢家当主によって書き継がれてきたものである。この日記の書かれた由来については、4代目忠勝が1704(宝永元)年6月に子孫に遺した「覚書」の中に、1663(寛文3)年の25歳の時から書き始め、64歳の今日まで書き続けてきたのは、自分の没後、後世の人のための参考に資するためである、と述べている(藤沢直枝著『瀧沢家歴代譜』私家版、1931年)。問屋日記の内容は、伝馬役や宿泊・小休の諸大名、幕府役人に関するもの等のほか、米・豆腐などの諸相場・上田紬・産物会所・町医師触・諸職人統制・鋳物口銭・災厄・風俗など、宿場町の諸相を窺うことができる。また人別改め、欠落人、奉公人の移動、縁組、家屋敷売買等の記録もみられる。このほかにも、上田宿に泊まった旅人から聞いた諸国の様子を風説書として記し、旅人が持参した書き物を写しておいたり、勘定所に行って、諸国大名や代官の人事異動の情報を写して記載している。このようにあらゆる情報を書き留めていることが特徴である。
評価選別等スケジュール
追加受入情報
整理方法
利用条件
使用条件
使用言語 JAPANESE
物的特徴及び技術要件
検索手段 マイクロ収集史料目録
原本の所在 瀧沢助右衛門氏氏(長野県上田市)。
利用可能な代替方式
関連資料
出版物 藤沢直枝『瀧沢家歴代譜』私家版(1931年)を参照のこと。
注記
収蔵名称 国文学研究資料館(歴史資料)

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