| 資料記号 |
寄託 |
| 標題 |
山梨県山梨市下井尻区有文書 |
| 年代 |
1699年~1925年 |
| 主年代 |
江戸中 |
| 年代注記 |
1699(元禄12)年-1925(大正14)年 |
| 記述レベル |
fonds |
| 書架延長/数量 |
1m/273点 |
| 物的状態注記 |
273点 |
| 出所・作成 |
下井尻区 |
| 履歴 |
下井尻村は栗原筋に属し、村高は「慶長古高帳」では377石余、「宝暦村高帳」では464石余、以後は「天保郷帳」「旧高旧領」も同じである。1724(享保9)年の「村鑑明細帳」(史料番号14)によれば、1711(正徳元)年の松平甲斐守の検地により、村高464石1斗8升7合、反別39町4反4畝6歩(田方16町8反4畝7歩、内12町6畝18歩は両毛作り、分米213石5斗3升8合1勺、畑方22町5反9畝29歩)と定められ、検地帳4冊は名主が預かっていた。惣家数は91軒(内訳は本百姓82軒、水呑4軒、庵堂4軒、神主1軒)、惣人数339人(本百姓315人、水呑9人、出家神主15人)で、男162人(本百姓149人、水呑5人、出家神主8人)、女177人(本百姓166人、水呑4人、出家神主7人)であった。1796(寛政8)年の「被仰渡御請書帳」(史料番号41)には、名主1、長百姓3、百姓代2、百姓69人が連名している。1771(明和8)年の「名主替り書上扣」(史料番号30)によれば、当村名主役は前々より長百姓の内より1人を選び、1年期・8月1日交代の勤務であったという。1871(明治4)年に山梨県に属し、翌年山梨郡第十二区に編入され、1875年旧栗原筋小原村東西、七日市場村、下井尻村が合併して日下部村となり、下井尻村は日下部村第四区となった。
(関係地)甲斐国山梨郡下井尻村‐山梨県山梨郡日下部村‐山梨県東山梨郡日下部村‐山梨県東山梨郡日下部町‐山梨県山梨市大字下井尻[現在]
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| 伝来 |
1725(享保10)年に作られた区長持回りの郷帳箱に収蔵されていた区有文書の大部分を1971年度に下井尻区より寄託。
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| 入手源 |
下井尻区 |
| 範囲と内容 |
本文書群は当館に収蔵されている「下井尻村依田家文書」と「同井尻家文書」の村方史料の欠を補うものである。 (1)江戸期の村方文書として、1711(正徳元)年の検地帳、名寄帳、1724(享保9)年の村明細帳、1761(宝暦11)年人別改帳、1762(宝暦12)年・1764(同14)年・1786(天明6)年・1794(寛政6)年の五人組御仕置帳、1749(寛延2)年から1797(寛政9)年小入用帳、1699(元禄12)年から1841(天保12)年にかけての免状のほか、損毛、下見、夫食、用水などの関係史料、提札1枚を含む入会山史料、村絵図などがある。 (2)明治から大正期の区文書として、区の収支に関わる会計簿・出納日記簿、消防、鎮守関係史料がある。
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| 評価選別等スケジュール |
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| 追加受入情報 |
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| 整理方法 |
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| 利用条件 |
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| 使用条件 |
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| 使用言語 |
JAPANESE |
| 物的特徴及び技術要件 |
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| 検索手段 |
寄託史料目録またはカード目録 |
| 原本の所在 |
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| 利用可能な代替方式 |
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| 関連資料 |
「甲斐国山梨郡下井尻村宗門人別帳」(当館所蔵、59C)、「甲斐国山梨郡下井尻村井尻家文書」(当館所蔵、35S
39D)、「甲斐国山梨郡下井尻村依田家文書」(当館所蔵、27D 29A 30E
60A)がある。
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| 出版物 |
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| 注記 |
『史料館報』16号(1972年3月) |
| 収蔵名称 |
国文学研究資料館(歴史資料) |
| 識別記号(内部用) |
ac1971301 |